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ラ・ブリュイエール通りとの角にある住居だが、入口はラ・ロシュフコー通り側にある。ラ・ブリュイエール通り側の壁に銘板が掛かっており、「画家オーギュスト・ルノワールは1897年から1903年までこの家に住んでいた。」とある。
ルノワール(Auguste Renoir, 1841-1919)は、最晩年の16年間を南仏カーニュで過ごし、78歳で世を去るが、この時期はその直前の56歳から62歳までの時期にあたる。
ルノワールは1880年代に経済的な困窮とともに、自分の絵の描き方に自信が持てなくなった時期があったが、1890年代に入ってデュラン=リュエル画廊での個展での成功とともに次第に経済的にも安定し、円熟期のルノワールらしい素晴らしい作品を次々と生み出すようになった。
Renoir : Gabrielle et Jean (1895?) Paris, Musée de l'Orangerie Wikimedia Commons |
1890年には絵のモデルで内縁関係にあった18歳年下のアリーヌ・シャリゴ(Aline Charigot, 1859-1915)と正式に結婚し、1894年には二番目の息子ジャンが生まれた。ルノワールはこの時55歳だった。子守役として妻の遠縁の従妹ガブリエル・ルナール(Gabrielle Renard)がやってきたが、早速ルノワールの絵のモデルとしてもこの時期以降盛んに用いられた。
(←)左掲は「ガブリエルとジャン」と題されたこの時期の名品の一つで、まるで母子像のように微笑ましい絵である。しかしガブリエルは実際まだ16~17歳の少女であった。
さらに1901年には三番目の息子クロードが生まれる。この時ルノワールは60歳である。先輩たちのエドゥアール・マネが51歳で、クールベが58歳で死去したのに比べれば、活力が相当旺盛だったとしか思えない。それが最晩年となっても女性の肉体美を追及し、多くの浴女像を含む裸体画を描き続けたルノワールの芸術の原動力だったのだと思えてくる。
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