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《大女優マルス嬢の家》
PA00088916 © Monuments historiques, 1992
« Hôtel de Mademoiselle Mars » par MOSSOT — Travail personnel. Sous licence CC BY 3.0 via Wikimedia Commons |
通りの角にある建物で、歴史的建造物として『マルス嬢の館』(Hôtel de Mademoiselle Mars)と呼ばれている。
この建物は当初1780年頃に建てられ、ブーゲンヴィル館と呼ばれたが、ナポレオン時代のあと、1820年にグーヴィオン=サンシール元帥(Maréchal Gouvion-Saint-Cyr, 1764-1830)の住まいとなった。彼は大革命時代からナポレオン時代にかけて活躍した軍人で、ナポレオンに必ずしも忠誠を示したわけでなかったために、王政復古後も侯爵としての地位を保つことができた。
1824年に当時大女優として確固たる人気を誇っていたマルス嬢(Mademoiselle Mars, 1779-1847)がこの館を買い取り、その住まいとした。彼女の本名は、アンヌ=フランソワーズ・ブーテ(Anne-Françoise Boutet)だが、舞台俳優の両親を持ち、1792年に14歳で初舞台を踏んだ。マルスの名前は母親の芸名から用いた。以降、彼女はモリエールやマリヴォーの戯曲で、無邪気な娘役から恋する女役、さらには男を虜にする魅力たっぷりの熟女役などを得意とし、1799年には20歳の若さでコメディ・フランセーズの正団員となった。パリの観衆は彼女の魅力と知性と女優としての演技を賞賛した。
Capet, Marie-Gabrielle : Portrait présumé de Melle Mars Paris, musée du Louvre, D.A.G. Crédit Photo (C) Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Martine Beck-Coppola |
彼女は多くの貴金属の装身具や宝石を所有し、舞台で演技するときはそれらの一部を必ず身につけて出ていた。
1814年のナポレオンの退位と連合軍のパリ入城の時には、植物採集用の胴乱のようなブリキの容器を40個作らせて、その中に宝石と貴金属を入れ、家の中のわからない場所に隠したという。
彼女が住んだこの館でも1827年10月19日に、すべての宝石と装身具が盗難にあうという事件が起きた。その日彼女は仲間の俳優のところに夕食に出かけ、小間使いと御者も別の用事で不在だったところで、先に戻った小間使いが盗難の発見者となった。その晩、この通りをうろつく不審な男の姿が目撃された。捜査の結果、ジュネーヴで宝石商に盗品を持ち込んだ男が逮捕され、その男の妻が小間使いだったことが判明した。(CVP)
上掲(↑)は、マリー=ガブリエル・カペー(Marie-Gabrielle Capet, 1761-1818) という女流画家によるマルス嬢と推定される肖像画である。