パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2017年3月15日水曜日

散歩Q(6-2) ドゥエ通り Rue de Douai, 9e (西半分)Partie ouest(クリシー広場~ユーロプ界隈)

ベルリオーズ公園の北側を東西に伸びるドゥエ通りは、クリシー大通りと平行する一本南の裏通りなので車の往来も少ない。名前の由来となったドゥエ(Douai)はフランス北部の町で、起源はローマ帝国の植民地時代に遡る。中世には大学も置かれたという。ユーロプ地区にあるが、ヨーロッパの主要都市の一つとして名付けられたのではないようだ。(DNR)


(c) Google Map Streetview
 59, rue de Douai, 9e
☆ドゥエ通り59番地 (59, rue de Douai, 9e)

前述の画家ボナールの住居があった65番地の2軒隣の59番地は3階建ての古い小さな住居が残っている。120年前くらいの19世紀末のものらしく、小規模ながらも当時流行したネオ・ルネサンス風の優雅な窓飾りが目に留まる。


(c) Google Map Streetview
 42, rue de Douai, 9e





☆ドゥエ通り42番地 (42, rue de Douai, 9e)

戸口の上にある2階の窓にフランス国旗が掲出されている。国かパリ市の公共機関の施設になっているらしい。ここには19世紀末(1896-1900)に《ラ・ルロット》(La Roulotte)という名前の歌謡劇場(キャバレ=テアトル)があった。シャンソン歌手で作詞・作曲もしたジョルジュ・シャルトン(Georges Charton)が支配人となって営業し、多数の有名シャンソンが創唱された。(PRR)
Auguste Roedel : Affiche de La Roulotte,
Cabaret-Théâtre @BnF Gallica









《ラ・ルロット》の元々の意味は、地方を巡業して歩く旅芸人たちが乗る大型の馬車のことで、右掲(→)のポスターでもカルメンのような女性が馬車の後部にある出入口の階段に腰をかけてトランプ占いをしているのがわかる。

*参考サイト:BnF Gallica 所収の『赤十字の歌』(Chanson de la Croix Rouge)
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8594948z

(c) Google Map Streetview
 39, rue de Douai, 9e






☆ドゥエ通り39番地 (39, rue de Douai, 9e)

通りの向い側の39番地には、玄関飾りの羊歯(シダ)模様が見事である。






(c) Google Map Streetview
 35, rue de Douai, 9e


☆ドゥエ通り35番地 (35, rue de Douai, 9e)
☆ブランシュ通り90番地
(90, rue Blanche, 9e)

ドゥエ通りがブランシュ通りと交差する角の南東側にパン屋がある。《オー・デリス・デュ・ムーラン》(Aux Délices du Moulin)という店名で「粉引きの愉楽」とでも訳するのだろうか。店の入口にある嵌め絵の装飾が老舗らしさを演出している。昼はパンや菓子を買い求める人で結構混雑している。


かたつむりの道すじ:④ブリュッセル通り~⑤アドルフ・マックス広場~
⑥ドゥエ通り~⑦ブランシュ通り~⑧カレ通り~⑨バリュ通り
 (c) Google Map


2017年3月11日土曜日

散歩Q(6-1) 画家ボナールの住居跡 Ancienne demeure de Pierre Bonnard(クリシー広場~ユーロプ界隈)

☆ドゥエ通り65番地 (65, rue de Douai, 9e)
《画家ピエール・ボナールの旧居》 Ancienne demeure de Pierre Bonnard

(c) Google Map Streetview
 65, rue de Douai, 9e
ベルリオーズ公園の北側は、ドゥエ通り(Rue de Douai)の一部になっていて、西側はクリシー広場に通じている。

現在クリシー広場にあるパテ社の映画館の入った大きな建物が見える手前の65番地(クレープ屋がある)は、ナビ派出身の画家ピエール・ボナール(Pierre Bonnard, 1867-1947)が一時期住んでいた場所である。(PRR)

1898年から画商のアンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard, 1866-1939)は、ナビ派のボナール、ヴュイヤール、モーリス・ドニなど同世代の若手の優れた画家たちに依頼し、『パリ生活の諸相』(Quelques aspects de la Vie de Paris, 1899)と題した版画集を出版した。全4巻で計画され、各人が12点の彩色リトグラフでパリの生活風景を制作し、高い評価を獲得した。
Pierre Bonnard : La Place Clichy
(la vue présumée de la rue de Douai)
@Quizz Paris en peinture

ボナールがここに住んだのも30代初めのこの時期で、クリシー広場界隈の風物画や風景画も多く描かれた。右掲(→)は、比較的遠景のクリシー広場の絵だが、住居のあったドゥエ通りから描いたのではないかと思われる。印象派の技法を受け継ぎながらもボナール独特の味わいがある。

この時期の傑作の一つとされるのが、下掲(↓)「クリシー広場」の店先風景である。ボナールの得意とする暖色系の明るい色彩の中に、描かれた街中の女性たちの身体の微妙なしなり方が魅力的だ。
Pierre Bonnard : La Place de Clichy (1912)
@ Wikiart





ボナールは、65番地の家に住んだ後も同じ通りの向い側60番地に住み続けた。現在はリセの建物の一部になっている。近くに親友のヴュイヤール(Edouard Vuillard, 1868-1940)も住んでいたので、この界隈での生活がとても気に入ったのだろう。

◇パリ蝸牛散歩内の関連記事:
(2-5)クリシー広場(再2)Place de Clichy (suite)
http://promescargot.blogspot.jp/2016/07/2-5place-de-clichy-suite.html