パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年12月19日土曜日

9区サン=ジョルジュ地区(12-3)画家ヴェルネ一族の館

☆ラ・トゥール・デ・ダム通り5番地 (5, rue de la Tour des Dames, 9e)  《画家ヴェルネ一族の館》



(c)Photo Emoulu bc24a, 2003
5番地の建物は歴史的建造物になっていないが、この通りにふさわしい品格のある門構えで、18世紀から歴史画家として有名だったカルル・ヴェルネ(Carle Vernet, 1758-1836) とその子のオラース・ヴェルネ(Horace Vernet, 1789-1863)の親子が住んでいた館である。

Anonyme : Joseph, Carle
et Horace Vernet, peintres français
Paris, musée d'Orsay
Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais
 / Hervé Lewandowski








実は一代前のジョゼフ・ヴェルネ(Joseph Vernet, 1714-1789) もまた大革命前の時代の高名な海洋画家として知られていたので、実質三代にわたって大画家を輩出した一族ということになる。

後世から見れば単に「これはヴェルネの絵だ」と言うだけでは事が足らず、父か、子か、孫かを補足する必要がある。

Joseph Vernet : Tempête avec naufrage
Allemagne, Munich, Bayerische Staatsgemäldesammlungen, Alte Pinakothek
Crédit Photo (C) BPK, Berlin, Dist. RMN-Grand Palais / image BStGS








まず最初のジョセフ・ヴェルネ(Joseph Vernet, 1714-1789)は、アヴィニョンで生まれ、南仏とローマで絵の修行をし、マルセイユに定住し、フランスの風景画史上最高の画家とされたクロード・ロラン(Claude Lorrain, 1600-1682)に強く影響を受けた港湾の風景画を多く描いた。1753年からパリに移り、ルイ15世からフランスの主要な22の港の絵の連作「フランス諸港」の注文を受け、そのうちの15までを完成させた。彼は風光明媚な港の風景を描く一方で、暴風雨に見舞われた難破船や月光に照らされた港の夜景などのロマン派的な物語性のある作品も多く残している。(DNR)

Carle Vernet : Chasse au daim pour la Saint-Hubert en 1818, dans les bois
de Meudon / Passage de l'eau dans l'étang de Ville d'Avray
Paris, musée du Louvre
Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais

次のカルル・ヴェルネ(Carle Vernet, 1758-1836)は、その生涯の大半が大革命とナポレオンによる戦争の連続であった時代で、戦争画の開拓者とも言われ、歴史的・軍事的な記録画を多く残した。また彼は馬の動きを巧みに描くことも得意だった。1816年に芸術アカデミー会員に選ばれた。(DNR)

(→)右掲は、王政復古後の1818年にパリ郊外のムードンの森で行われた鹿狩りの様子を描いたもので、まるで軍隊の演習のように大規模な人馬と猟犬の様々な動きが大画面に表わされている。

Horace Vernet : Louis-Philippe, duc d'Orléans, nommé lieutenant général du royaume, quitte à cheval le Palais Royal pour se rendre à l'hôtel de ville de Paris, le 31 juillet 1830 - épisode de la Révolution de 1830
Versailles, châteaux de Versailles et de Trianon
Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais (Château de Versailles) / Gérard Blot
最後のオラース・ヴェルネ(Horace Vernet, 1789-1863)は、当初祖父の画風を踏襲した海洋画を描き、次いで父と同じようにナポレオンの英雄的な勝利と栄光を再検証するかのように「ジュマップ」、「イエナ」、「ワグラム」、「フリートランド」、などの戦いの絵を再現した。(↑)上掲は「1830年の七月革命において新王に選ばれたオルレアン公ルイ=フィリップが騎乗してパレ・ロワイヤルを出てパリ市役所に向かう場面」という歴史的瞬間を人民の熱狂とともに描き出している。彼はこうした大画面に広がる戦闘や革命の光景の中に、非常に多くの兵士や市民の様々な動きを描き分け、その集合体としてのエネルギーを見る者に及ぼす力量があった。

彼も1826年37歳で芸術アカデミーの会員となったのに加え、1829年にはローマのフランス・アカデミー館の館長を務めた。この5番地の館は芸術家たちのあまり気取らない自由な交遊の場となった。(LAI, CVP, DNR)

(↓)下掲は、フランスが1830年代にアルジェリアを植民地化するために軍隊を送り込み、各地で戦闘が繰り広げられたことをもとに、国威発揚の意味でヴェルネに描かせた作品の一つである。
画題は「1837年のアルジェリア征服の挿話」とあり、コンスタンティーヌ(Constantine)の要衝を攻めとる場面である。縦長の構図に迫力がある。実際は苦戦に次ぐ苦戦であったという。


Horace Vernet : Episode de la conquête de l'Algérie en 1837
Versailles, châteaux de Versailles et de Trianon
Crédit  Photo (C) RMN-Grand Palais (Château de Versailles) / Gérard Blot

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