パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年10月7日水曜日

散歩R(2-2) フレシエ通り Rue Fléchier, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)

☆フレシエ通り4番地 (4, rue Fléchier, 9e)
《モード週刊誌「ラ・シルフィード」の版元》
 
La Sylphide, 1839: Numa No.5
(c) BnF Gallica


 19世紀の中頃は出版文化も大きく発展した時代であった。特に把握しきれないほど数多くの新聞や雑誌が次々と創刊されては消滅あるいは買収されるということを繰り返していた。新聞(journal)と称していても週刊(hébdomadaire) のものも多い。婦女子向けの服飾や化粧とともに文学、美術、音楽など記事を盛り込んだ雑誌も少なくなく、この週刊誌「ラ・シルフィード」(La Sylphide)は1839年から1875年まで40年近く続いた。当時の印刷技術では高価だったカラー刷りの服飾画は人気があったようで、別刷りの「口絵」として挿入された。

 下掲は「ラ・シルフィード」創刊号の表紙である。版元の住所がフレシエ通り4番地となっていた。注目すべきはその錚々たる執筆陣で、表紙の下部にバルザックを筆頭にデュマ、ゴーティエ、ジラルダン夫人などが挙がっている。当時は少なくともこの建物にこうした文豪たちが頻繁に出入りしていたことを想うと感慨深い。
La Sylphide, Journal de modes, de littérature, de théâtre et de musique; 1839
(c) BnF Gallica
表紙の絵は当時絶大な人気を誇ったオペラ座のバレエ「ラ・シルフィード」(La Sylphide, 空気の妖精)の主役マリー・タリオーニ(Marie Taglioni, 1804-1884)の舞台で踊る様子を描いたもので、そのままモード雑誌の名前に流用して、女性購読者の興味を引きつけようとしたと思われる。

(なおバレエの「ラ・シルフィード」の初演は1832年であり、20世紀に入ってからショパンの作品をもとに編曲編成された「レ・シルフィード」(Les Sylphides)とはまったく別のバレエである。
作曲者はシュナイツホーファとロヴィンショルドの2通りの版がある。)