パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年10月5日月曜日

散歩R(2-1) 画家シャセリオの家 Ancienne demeure de peintre Chassériau(9区サン=ジョルジュ地区)


(c) Google Map Streetview
 2, rue Flécier, 9e
教会に向かって右隣の細い通りがフレシエ通りである。フレシエ(Valentin Esprit Fléchier, 1632-1710)は、17世紀、ルイ14世の時代の文筆家、説教家であり、王太子の読書係でもあった。パリで20年間にわたって説教者としての評判も高かった。晩年は南仏ニームの司教に任命された。


☆フレシエ通り2番地 (2, rue Fléchier, 9e)
 《画家シャセリオの家》Ancienne demeure de peintre Chassériau

 角の2番地の家はロマン派の画家シャセリオーが家族と共に住んだ所とされる。テオドール・シャセリオ(Théodore Chassériau, 1819-1856) は、カリブ海のサン=ドマング島(現在のドミニカ共和国)の生まれで、母親は入植者の娘であった。父親がフランスの植民地の行政官として中南米各地を転々とする中、3歳の時に家族と共にパリに移り住んだ。

 幼少の頃から卓越した画才を表し、11歳で古典派の大家アングルの弟子となった。師のアングルの技法では、女性の美を彫刻的な、人形のような無表情さで描くことが多いが、シャセリオは次第にドラクロワに代表されるロマン派的な表現、つまり人間の感情を露わにした顔の表情や身体の動きを描き出す手法に共鳴するようになった。

Photo (C) RMN-Grand Palais (musée du Louvre)
 / René-Gabriel Ojéda
(←)掲載の絵は彼の代表作の一つ『エステルの化粧』(La toilette d'Esther, 1841) で、弱冠22歳のときの作品である。女性の両腕を頭の上に伸ばしているポーズは、「ブラ・ルヴェ」(bras levé) と称される女性の美しさを描く構図の一つであるが、見事な完成度である。
 
 彼はこのあと異国趣味(exotisme)を求める時代の風潮に合わせて、アルジェリアを旅行したりして、ロマン派的な自由な感情表現の作品を残している。しかしながら37歳の若さで夭折した。