パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年10月17日土曜日

散歩R(6-2) 雑誌《ルヴュ・ブランシュ》の版元跡 Emplacement du lieu de rédaction de la Revue Blanche(9区サン=ジョルジュ地区)


La Revue blanche bi-mensuelle : affiche
Henri de Toulouse-Lautrec
Paris, Bibliothèque nationale de France (BnF)
Crédit : Photo (C) BnF, Dist. RMN-
Grand Palais / image BnF
☆マルティール通り19番地 (19, rue des Martyrs, 9e)  《ルヴュ・ブランシュ》の版元跡 Emplacement du lieu de rédaction de la Revue Blanche

1891年10月にパリで刊行された「ルヴュ・ブランシュ」(La Revue blanche) は新しい文芸誌・芸術評論誌として、先行する代表的な評論誌「メルキュール・ド・フランス」誌の薄紫色の表紙に対抗して「白い雑誌」として登場した。

この雑誌は2年前の1889年にベルギーのリエージュで創刊されたが、編集人のナタンソン3兄弟(アレクサンドル、タデ、ルイ=アルフレッド)がパリに進出することにしたのである。この雑誌の刊行は1903年までの足掛け14年間足らずとなったが、執筆協力者の中に、アンドレ・ジィド、アポリネール、マラルメ、プルースト、シャルル・ペギーなどの錚々たる人物が名を連ね、非常に充実した内容であった。

 (←)左掲のポスターはロートレックがタデ・ナタンソン(Thadée Natanson, 1868-1951)の妻ミシアをモデルに作成したもので、この雑誌の知名度を一気に上げた。住所表示は移転後のラフィット通りになっている。

参考Link : 《百年前のフランスの出来事》~物議をかもしたミルボーの『学寮』ようやく初演 1908.12.07