(c) Google Map Streetview 21, rue des Martyrs, 9e |
Maison de peintre Géricault, jusqu'à sa mort
ロマン派絵画の若き俊英テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault, 1791-1824) が31歳の若さで死去した家とされる場所である。(別の資料によるとこちらには彼のアトリエがあって、住居は同じ通りの49番地だったとの説もある。)
Rue des Martyrs, n° 21 : Maison habitée par Géricault, Manuel et Béranger : [estampe] / APM [Potémont] @BnF Gallica |
(←)フランス国立図書館の19世紀初頭の版画では、この番地にジェリコーの住まいがあったと記されている。
イタリア留学から戻って、28歳で彼が発表した大作『メデューズ号の筏』(Le radeau de la Méduse, 1819) は、ロマン主義絵画の記念碑的な傑作となった。大胆な構図と色調、情動的な表現は7歳年下のドラクロワにも大きな影響を与えた。
Schefffer : La mort de Géricault Photo (C) RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado |
彼は馬の躍動感あふれる動きに魅せられ、英国に3年間住んで、盛んにスケッチや絵画制作を行った。パリに戻ってほどなくして、彼は自分の乗った馬が市の外壁にぶつかった弾みで放り出され、その事故が原因で出来た膿瘍に苦しめられ、1年半後に死去した。(CVP)
その惜しまれた死の様子は、友人の画家アリ・シェフェー(Ary Scheffer, 1795-1858) によって『ジェリコーの死』(La mort de Géricault) として描かれている。