パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年10月19日月曜日

散歩R(6-3) 画家ジェリコー逝去の家 Maison de peintre Géricault, jusqu'à sa mort(9区サン=ジョルジュ地区)

(c) Google Map Streetview
21, rue des Martyrs, 9e
☆マルティール通り21番地 (21, rue des Martyrs, 9e)  《画家ジェリコー逝去の家》
Maison de peintre Géricault, jusqu'à sa mort

 ロマン派絵画の若き俊英テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault, 1791-1824) が31歳の若さで死去した家とされる場所である。(別の資料によるとこちらには彼のアトリエがあって、住居は同じ通りの49番地だったとの説もある。)

Rue des Martyrs, n° 21 :
Maison habitée par Géricault,
Manuel et Béranger : [estampe]
/ APM [Potémont] @BnF Gallica












(←)フランス国立図書館の19世紀初頭の版画では、この番地にジェリコーの住まいがあったと記されている。

イタリア留学から戻って、28歳で彼が発表した大作『メデューズ号の筏』(Le radeau de la Méduse, 1819) は、ロマン主義絵画の記念碑的な傑作となった。大胆な構図と色調、情動的な表現は7歳年下のドラクロワにも大きな影響を与えた。



Schefffer : La mort de Géricault
Photo (C) RMN-Grand Palais (musée
du Louvre) / Michel Urtado

彼は馬の躍動感あふれる動きに魅せられ、英国に3年間住んで、盛んにスケッチや絵画制作を行った。パリに戻ってほどなくして、彼は自分の乗った馬が市の外壁にぶつかった弾みで放り出され、その事故が原因で出来た膿瘍に苦しめられ、1年半後に死去した。(CVP)
その惜しまれた死の様子は、友人の画家アリ・シェフェー(Ary Scheffer, 1795-1858) によって『ジェリコーの死』(La mort de Géricault) として描かれている。