パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年10月15日木曜日

散歩R( 6-1) マルティール通り Rue des Martyrs, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)



(c) Google Map Streetview
5, rue des Martyrs, 9e

イポリット・ルバ通りから商店街の続くマルティール通りに出る。さまざまな店の様子を見て歩くのも楽しみの一つである。ときどき店の名前の中でも面白いのに気づいて勝手にうなづいてみたりする。この通りにも(←)「食いしん坊のネズミ」(La souris gourmande)(ラ・スリ・グルマンド)=チーズ屋さん、「酒神の隠れ家」(Le repaire de Bacchus)=ワイン屋さん、「味蕾(舌の味覚を感じる箇所)」(Les papilles gourmandes)=食料品店、「オーベルニュの味」(Aux saveurs d'Auvergne)=食料品店などがある。

通りの名前のマルティール(Martyrs)とは「殉教者たち」という意味のフランス語の普通名詞で、その昔ローマ帝国領だった紀元3世紀中頃に、聖ドニ、聖エルテール、聖リュスティクの3人の聖者がパリの中心からモンマルトルの丘で斬首されるためにこの道を通って行ったとされる。パリでも最も古い通りの一つである。モンマルトルの丘も語源的には、モン(山 mont)とマルトル(殉教 martre < martyre )が合わさった呼び方である。その3人の中でも聖ドニ(St.Denis)は、切られた自分の首を抱えて北の方に歩き出し、パリ郊外のサン=ドニまで至ったという伝説があるのは有名である。(CVP)



☆マルティール通り7番地 (7, rue des Martyrs, 9e)  《ブラスリー・デ・マルティール跡》
(c) Google Map Streetview  7, rue des Martyrs, 9e

上のチーズ屋の2軒隣は、今はカルフールという大手スーパーの都心型小店舗になっているが、入口が狭いわりには奥が広く長く、西側の別な通り(ノートルダム・ド・ロレット通り)に突き抜けられる。ここは19世紀の中頃に繁盛した居酒屋《ブラスリー・デ・マルティール》(Brasserie des Martyrs)の跡である。

ここでは、詩人のボードレール、作家のアルフォンス・ドーデやゴンクール兄弟、「ラ・ボエーム」の原作を書いた作家ミュルジェなどが足繁く通い、マネ(Edouard Manet, 1832-1883)やクールベ(Gustave Courbet, 1819-1877)を取り巻く若い画家たちも激論を戦わせていた。(LAI, PRR)

「19世紀風刺詩選」(Le Parnasse satyrique du 19e siècle)にもこの居酒屋を題にした詩が収められている。

La Brasserie des Martyrs      《ブラスリー・デ・マルティール》

Près Notre-Dame-des-Lorettes   ノートルダム・ド・ロレット教会そばの
Voyez-vous ce sombre café,    このつましいカフェを知ってるかい
Dans ce quartier des amourettes,    つかの間の恋の街角で
H.Murger - La vie de Bohème
Aquarelle par A.Robaudi
@Bnf Gallica

Plus fameux que les opérettes    オッフェンバックのオペレッタや
D'Offenbach et que le nafé ?     芙蓉の実よりも有名という

C'est la célèbre brasserie      これは名だたるブラスリー
De nos pléiades sans Valois    我らが無名の賢人たちの
Quelle vaste ménagerie !      何と広い小動物園なのか!
Il en vient de la Causerie      閑談小話のコーズリー紙か
Il en est venu du Gaulois.      ゴーロワ紙からやって来る
( ...... )                 ( ...... )

Emmanuel des Essarts(1839-1909)
dans "Le Parnasse satyrique du 19e siècle, recueil des vers piquants et gaillards" Tome2  @BnF Gallica