☆ジャン=バティスト・ピガール通り43番地 (43, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)
《ゴッホの最後のパリ滞在先:テオの家 》(Demeure de Théo van Gogh)
Vue de Cité Pigalle (c)Photo Emoulu bc23, 2003 |
今回の転地は、パリから北西36kmの川沿いの田舎町オーヴェール=シュル=オワズ(Auvers-sur-Oise)に住む医師のガシェ博士のそばで治療を受けながら絵を描くということだった。5月20日には現地に向かい、医師と顔を合わせた。
オーヴェールでの生活は順調のように思えた。テオ一家も一度遊びに訪れ、ゴッホも7月6日にパリに出向き、このテオの家でロートレックなどと会った。ちょうどその頃、テオがグーピル商会を辞めて、友人と新たに画廊を立ち上げようかと議論していた時で、結局は思いとどまったのだが、ゴッホはその場にいて自分が追い詰められたような気持に陥ったという。
Vincent van Gogh : Chaumes de Cordeville à Auvers-sur-Oise Crédit Photo (C) Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt |
弟のテオは驚くべき愛情をもって常に兄を支えてきたが、その兄の死によって強い衝撃を受け、医師の診断で入院となった。彼もまた回復不能な心の空白に陥ったのだ。生地のオランダに帰る他に手段はなく、ユトレヒトにある病院に入ったが、兄の死から半年後の1891年1月25日に死去した。二人は生前のように固く結ばれた心の絆でオーヴェールの墓地に並んで埋葬されている。(LAI)
(c)Photo Emoulu bc22a, 2003 |
「この家にテオ・ファン・ゴッホが暮らし、その兄のフィンセント・ファン・ゴッホはその死の前の数カ月のうちにここに滞在した。」(↑)これが上掲の碑銘板(plaque)の内容であるが、この碑銘板の存在に言及しているサイトは現在皆無である。散歩者は偶然、ある時期にここを通りかかって写真に収めたのだが、その後、何らかの理由で撤去されたかもしれない。(このことについて何かご存知のかたはコメントでお知らせください。)
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