☆ブランシュ通り15番地 (15, rue Blanche, 9e)
《テアトル・ド・パリ(パリ劇場)》 (Théâtre de Paris)
PA00089005 © Monuments historiques, 1992
この地域一帯は19世紀中頃まで「ティヴォリ」(Tivoli)と呼ばれる野外遊戯場が設けられて、屋外でのダンスホール、仮面・仮装舞踏会場、あるいはローラースケート場などの人々の娯楽の場であった。
Théâtre de Paris, 15 rue Blanche, Paris 9 Wikimedia Commons / Mu |
1899年10月28日にはこの劇場でワーグナー(Richard Wagner, 1813-1883)の楽劇『トリスタンとイゾルデ』(Tristan et Yseult)の全曲がフランスで初めて上演された。
指揮はラムルー管弦楽団を創設したシャルル・ラムルー(Charles Lamoureux, 1834-1899)だった。
Pierre Bonnard : Le Concert Lamoureux (vers 1895) Toulouse, Fondation Bemberg Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais / Mathieu Rabeau Droits d'auteur: (C) ADAGP |
彼はかつてパドルー管弦楽団のヴァイオリン奏者だったが、人々にクラシック音楽の感動を与え続けるには自前のオーケストラが欠かせないと決断し、ラムルー管弦楽団(Orchestre Lamoureux)の母体となる《新コンサート協会》(Société des Nouveaux Concerts)を1881年に設立し、その指揮者として定期的なコンサートを開いた。彼はワーグナーの音楽に心酔しており、コンサートの曲目にフランスの作曲家の曲と共にワーグナーやブラームス、ベートーヴェンなどの紹介に努めた。しかし当時のフランスでは、普仏戦争の敗戦後の時期で反独感情の高まりがあり、1887年の楽劇『ローエングリン』(Lohengrin)の演奏会形式での上演にあたっては、上演反対のデモによる混乱で危うく中止となる瀬戸際だった。しかしラムルーの熱意は聴衆の支持を受け、予定通りのフランス初の公演が実現したのだった。
ラムルーは持病のため1897年に指揮者の座を女婿のシュヴィヤール(Camille Chevillard, 1859-1923)に譲っていたが、1899年にオペラ歌手たちからの要請で『トリスタン』の全曲初演に関わり、(歌唱はフランス語版ではあったが)成功理に終わった。彼はその2カ月後の12月21日に死去した。65歳だった。
(→)右掲はピエール・ボナール(Pierre Bonnard, 1867-1947)作の『コンセール・ラムルー』(Le Concert Lamoureux)演奏会風景である。
Une fête offerte à Mme Réjane, costume de 'Sylvie' à New York par M. James Hyde Document iconographique @BnF Gallica |
20世紀に入って1906年に、当時サラ・ベルナールに匹敵する人気を誇っていた女優レジャーヌがこの劇場を買収して《レジャーヌ劇場》(Théâtre Réjane)と改名して興行した。
レジャーヌは、本名ガブリエル=シャルロット・レジュ(Gabrielle-Charlotte Réju, dite Réjane, 1856-1920)といい、パリ生まれの女優で当初は喜劇女優として当り役のサルドゥ作「無遠慮夫人」(Madame Sans-Gêne, 1893)などで人気を博した。その後、アントワーヌの自由劇場の影響を受け、自然主義的な劇作品「ジェルミニー・ラセルトゥ」(ゴンクール)、「パリの女」(ベック)、「人形の家」(イプセン)などに取り組んだ。1895年以降、長期にわたる米国公演には「無遠慮夫人」を引っ提げて行き、絶大な評価を得て彼女は国際的な名声をかち得た。
(c) Google Map Streetview 15, rue Blanche, 9e |
レジャーヌが引退した1919年以降に《テアトル・ド・パリ(パリ劇場)》 (Théâtre de Paris)となり、支配人や経営者が代りながらも現在に至っている。この劇場には約300席の小劇場が併設されたが、最近その小劇場の名前がレジャーヌを記念する《サル・レジャーヌ》(Salle Réjane)に変えられた。
◇参考Link : 100年前のフランスの出来事
(1)芸術家のラントレ(4)演劇界 (1906.09)
http://france100.exblog.jp/3478551/
(劇団の花形俳優が座長のような形で劇場の支配人をしたり、劇場施設を買い取って自分の所有物にしてしまうことは、19世紀末の演劇界に多く見られたようだ)
(2)レジャーヌ劇場のこけら落とし (1906.12.15)
http://france100.exblog.jp/4076262
かたつむりの道すじ:㉒ブランシュ通り~㉓モンセー通り~㉔クリシー通り~㉕リエージュ通り~ ㉖アムステルダム通り~㉗ミラン通り~㉔クリシー通り(再)~㉘アテーヌ通り (c) Google Map |