☆ジャン=バティスト・ピガール通り34番地 (34, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)
《作曲家バンジャマン・ゴダールの家》 (Maison de compositeur Benjamin Godard)
PA00088968 © Monuments historiques, 1992
(c) Google Map Streetview 34, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e |
この場所には大革命前の1787年頃にフリーメイスンの秘教的団体の「レザミ・レユニ」(Les Amis réunis)の施設があったという。《集友会》とでも訳せばいいのだろうか。(CVP)
現在の建物は19世紀以降のもので、歴史的建造物に指定されている。19世紀後半に活躍した作曲家バンジャマン・ゴダール(Benjamin Godard, 1849-1895)の住居だった。ゴダールは裕福なユダヤ系商人の家に生まれ、親はこの家の他にパリ北西郊外のタヴェルニー(Taverny)に広大な屋敷を所有し、父親はその土地の町長だったこともある。
早くからパリ音楽院に学んだが、作曲家としてよりもヴァイオリニストして知られるようになり、ベルギー出身の名手ヴュータン
(Henri Vieuxtemps, 1820-1881)の弟子としてドイツでの公演に同伴した。作曲は16歳でヴァイオリン・ソナタ(第1番)を発表して以来、28歳の1878年のパリ万博に合わせて実施されたパリ市の作曲コンクールで1位となるなど、交響曲、協奏曲、室内楽曲を含めた多くの作品を生み出し、そのいくつかは万博会場で演奏、紹介された。
Jocelyn, opéra en 4 actes d'après Lamartine, musique de Benjanin Godard : L'affiche par A. Courtines @BnF Gallica |
ゴダールの代表作とされるオペラ『ジョスラン』(Jocelyn)はロマン派の詩人ラマルティヌ(Alphonse de Prat de Lamartine, 1790-1869)の長詩から題材を取ったもので、1888年2月にブリュッセルのモネ歌劇場で初演され、その半年後にパリでも上演された。現在では、その中のアリアが「ジョスランの子守歌」(Berceuse de Jocelyn)として親しまれているに過ぎない。
彼は40歳過ぎに結核を患い、南仏のカンヌに転地療養を試みたが、1895年1月に死去した。まだ45歳だった。
彼は音楽界においては中堅どころの作曲家として活躍したが、作風としてはグノーやサン=サーンスに近いフランス・ロマン派の標準的な感情表現の枠内に留まったためか、あまり目立たないままに忘れ去られたきらいがある。埋もれた傑作としては、自身得意としたヴァイオリンのための協奏曲2曲が挙げられる。特に晩年の第2番の濃密な語り口は聴き応えがある。
◇参考Youtube -
(1) ジョスランの子守歌(チェロと弦楽合奏)
Godard : "Berceuse" from Jocelyn, for Cello & strings
https://www.youtube.com/watch?v=brgNigEoOOA
(2)ジョスランの子守歌(往年のソプラノ歌手リタ・シュトライヒ)
Rita Streich - Berceuse de Jocelyn
https://www.youtube.com/watch?v=mk84NUWOvEE
(3)ゴダール「ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調作品131」
Benjamin Godard - Violin Concerto No. 2 in G minor, Op. 131
https://www.youtube.com/watch?v=cYJLQ4YnmMw
かたつむりの道すじ:⑱ラ・ブリュィエール通り~⑲エネ通り&ポール・エスキュディエ通り~ ⑳シャプタル通り~㉑ジャン=バティスト・ピガール通り (c) Google Map |
0 件のコメント:
コメントを投稿