パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年3月12日土曜日

散歩R(21-6) ジャン=バティスト・ピガール通り Rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)

ピガールという名前は、通りの坂を上った先にあるピガール広場(Place Pigalle)がパリで最も下品で危険な歓楽街の地名として定着しているが、その由来は元々この通りの坂下に住んでいたロココ時代の彫刻家ピガール(Jean-Baptiste Pigalle, 1714-1785)に拠っている。通りの名前は1803年からずっと単なる「ピガール通り」(Rue Pigalle)だったが、その後、評判の悪い地名としてのイメージを払拭しようとする意図から、1993年以降はフルネームの「ジャン=バティスト・ピガール通り」(Rue Jean-Baptiste Pigalle)に変更された。ピガール通りを中心とするトリニテ教会の裏手にあたる一帯は、19世紀には貴族や政治家や実業家たちが美しく魅力的な舞台女優やバレエ・ダンサーを囲って住まわせる妾宅(プティト・メゾン petite-maison)が立ち並ぶ所でもあった。(CVP)



☆ジャン=バティスト・ピガール通り25/27番地 (25/27, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)

広壮な建物である。2階と3階のバルコニーをつなぐ持ち送りには羊歯(シダ)の植物模様の装飾と口輪のついた獅子があしらわれている。
(c) Google Map Streetview
 27, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e




































☆ジャン=バティスト・ピガール通り17番地 (17, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)
(c)Photo Emoulu bc17fa, 2003

























(c) Google Map Streetview
 17, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e
17番地は歴史的建造物には指定されていないが、ベル・エポック調の凝った美しい装飾が施された建物である。上部に《サル・ルモワヌ》(Salles Lemoine)という刻銘が残っているのが見える。
ルモワヌ出版社(Éditions Henry Lemoine)は、1772年に作曲家兼ヴァイオリン奏者であったアントワーヌ=マルセル・ルモワヌ(Antoine Marcel Lemoine)が創業した楽譜出版社であり、以降200年を超える今日に至るまでルモワヌ一族が代々事業を継承している。
1867年に当時の社主アシル・ルモワヌ(Achille Lemoine)がこの場所に建築家のアルトゥール=スタニスラス・ディエ(Arthur-Stanislas Diet)に頼んで最新鋭の印刷所兼本店を建て、音楽関係の複製画なども販売した。

現在はここには別の会社が入り、住居にもなっており、ルモワヌ社はバスティーユ地区に移っていて現代作曲家の作品などの出版とともに、演奏活動の企画も行っている。

*参考Link : Editions Henry Lemoine
https://www.henry-lemoine.com/fr/apropos/



☆ジャン=バティスト・ピガール通り11番地の2 (11bis, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)

ちょっと見つけにくいが、バルコニーの下支えとしての窓飾りに小怪獣の頭部が埋め込まれているのが面白い。
(c)Photo Emoulu bc17f, 2003
この建物の壁には建築士カンボン(Henri Cambon)の名前が刻まれている。彼は19世紀末から20世紀初頭のいわゆるベル・エポック時代に活躍し、パリ市街の方々に当時流行した装飾を施している。(↓)下掲の持送り(バルコニーの下支え)にバラの花蔓をあしらったのも評判を呼んだと思われる。
(c)Photo Emoulu bc16fa, 2013

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