パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年3月15日火曜日

散歩R(22-2) ブランシュ通り Rue Blanche, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)

ブランシュ通り(Rue blanche)は直訳すれば「白い通り」。色がついた通りの名前は珍しい。恐らく昔、モンマルトルの採石場から石材を運ぶ荷車が頻繁にこの通りを通ったので、その粉が落ちて道が白くなったことに由来したのだと言われている。(DNR)


☆ブランシュ通り24/26番地 (24/26, rue Blanche, 9e)

消防署(Sapeurs-Pompiers)、ナポレオン時代には兵舎があった。1902年に現在のように建て替えられた。 仏和辞典によると、サプァー(sapeur)はもともと土木工兵の意味があった。現在では、「サプァー=ポンピエ」(Sapeur-Pompier)で消防夫、その複数形で消防署となる。

(c) Google Map Streetview
 26, rue Blanche, 9e






























Hôtel de Choudens par MOSSOT
— Travail personnel. Sous licence CC BY 3.0
via Wikimedia Commons
☆ブランシュ通り21番地
(21, rue Blanche, 9e)
《シューダンス館》
(Hôtel de Choudens)
PA00088913
© Monuments historiques, 1992

よく知られた楽譜出版社シューダンス(Éditions Choudens)の経営者であったポール・ド・シューダンス(Paul de Choudens, 1850-1925)は、自身がオペラの台本作家でもあり、広範囲の楽譜の出版の中でもオペラのスコアに力を入れた。特にグノーの「ファウスト」、ビゼーの「カルメン」、オッフェンバックの「ホフマン物語」等の販売を伸ばしたことにより大きな財を成した。
彼が1901年にプティ・パレ(Petit Palais)の設計でも有名な建築家シャルル・ジロー(Charles Girault, 1851-1932)に頼んで建てたのがこの居館で、ベル=エポック時代の典型的な資産家の邸宅であった。その後一時期、国立演劇芸術上級学校(École nationale supérieure des Arts et de Technique du Théâtre)が入っていた。現在はシューダンス一族の手から離れている。




(c) Google Map Streetview
 25, rue Blanche, 9e
☆ブランシュ通り25番地 (25, rue Blanche, 9e)
《在パリ・ドイツ・プロテスタント教会》
(Église évangélique allemande de Paris)

この地域に住むドイツ人のための教会である。1894年に建設され、百年以上の歴史がある。内部は、ドイツ各地の教会で見られるように簡素な装飾で、カトリック教会とは大きく異なる。比較論で言えば、冷え冷えとした感じである。
(c) Google Map Streetview
 25, rue Blanche, 9e












☆ブランシュ通り33番地 (33, rue Blanche, 9e)

この建物の建築家もビガール通り11番地の2と同じアンリ・カンボン(Henri Cambon)である。1903年と刻まれている。窓枠の曲線が壁面の曲線との一体感を生み出している。豪壮な建物である。

(c) Google Map Streetview
 33, rue Blanche, 9e

0 件のコメント:

コメントを投稿