パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年3月7日月曜日

散歩R(21-4) サンドとショパンの住居 Demeure de George Sand avec Chopin(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ジャン=バティスト・ピガール通り20番地 (20, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)
《サンドとショパンの住居 》(Demeure de George Sand avec Chopin)

(c) Google Map Streetview
 20, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e

地中海のマジョルカ島からフランスに戻ったショパンとサンドは、1839年の夏の間サンドの故郷のノアンの館で過ごした。医師から命じられたショパンの静養期間が終わる10月に二人はパリに戻る。サンドは子供たちとピガール通りの16番地(現在の20番地)に引越し、ショパンはマドレーヌ教会の裏手にあるトロンシェ通りに住居を見つけてもらった。
ショパンはすぐにピアノのレッスンを再開した。夕方トロンシェ通りの家でレッスンを終えると、辻馬車でピガール通りのサンドの家まで行き、夕食を取り、サロンでくつろいだ。

サンドの家のサロンは、床全体に敷きつめられた茶色のカーペット、褐色の樫材に装飾が施された古風な家具、壁には絵が何点かと茶褐色の畝模様のある布地が掛けられ、椅子は茶色のビロード地の座布で、落ち着いた調和のとれた部屋だった。サンドはしばしばオスマン風の長椅子にくつろいで、煙草をくゆらしながら来客を迎えた。

※追記: Flickr.com に20番地の碑銘(Plaque)の拡大写真が載っていたのでLinkを紹介する。
Monceau : George Sand & Frédéric Chopin plaque - 20 rue Pigalle, Paris
https://www.flickr.com/photos/monceau/24700285819/in/photostream/
Peinture réalisée d'après l'esquisse préliminaire du
portrait de George Sand et Frédéric Chopin
par Eugène Delacroix, dans une tentative de
reproduire l'œuvre divisée à la fin du XIXe siècle.
@Wikimedia commons

サンドの家には画家のドラクロワ、文豪バルザック、女優のマリー・ドルヴァル、歌手のポーリーヌ・ヴィアルドなどが訪れた。特にドラクロワは親交があり、音楽も大いに愛好したので、ショパンとは遅くまで語り合うことが多かった。ショパンは次第にサンドの家にいることが多くなり、一年後にはピガール通りに住んで、トロンシェの家はレッスン室、仕事場、応接室として使われた。

(→)右掲は、ドラクロワが描いたサンドとショパンの肖像画であるが、二人の愛が破綻した後、二つに分割されて売られたために、後に再構成して作られた絵である。

ここでの生活は約3年間続いた。この期間にショパンは久々にピアノのリサイタルを2回開いた。チケットは完売となり、当日はパリの熱狂的な聴衆から大きな喝采を受けた。出版された作品も、ピアノ・ソナタ第2番、幻想曲、バラード、前奏曲など非常に多く、彼の生涯中でも創作の絶頂期であったと言える。
一方のサンドも旅行記『マジョルカの冬』(Un hiver à Majorque) 、長編小説『歌姫コンスエロ』(Consuelo)など精力的に作品を発表している。

1842年彼らはここからほど近い瀟洒なスクヮル・ドルレアンに転居する。(LAI, PRR, Wiki)

◇パリ蝸牛散歩内の関連記事:
9区サン=ジョルジュ地区(14-1)ショパンとサンドの住居(スクヮル・ドルレアン)
(Demeure de Chopin et de George Sand au square d'Orléans)
http://promescargot.blogspot.jp/2016/01/14-1.html


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