パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年2月25日木曜日

散歩R(20-5) 旧グーピル商会跡 L'ancien siège et la galerie de Goupil & Cie(9区サン=ジョルジュ地区)

☆シャプタル通り9番地 (9, rue Chaptal, 9e)
《旧グーピル商会跡》(Ancien emplacement de Goupil & Cie)
(c) Google Map Streetview
 9, rue Chaptal, 9e

9番地の建物にはグーピル商会(Goupil et Cie) の画廊があった。当時のブルジョワ階級のサロンと同じように贅沢な内装が施された広々とした空間の中央に大輪のシャンデリアで照らし出されたこの画廊は社交場としても使われた。画廊の所有する特別収蔵品や未公開の絵画などをそれとなく飾って見せながら、顧客と打ち解けて話を進める場所であった。

創業者のアドルフ・グーピル(Adolphe Goupil, 1806-1893)は最初モンマルトル大通りで出版社をしていたが、1850年前後から名画を複製した石版画やサロンで有名になった絵画の複製を販売し始め、事業が軌道に乗ると欧州各地に支店網を拡大した。その後、絵画そのものや彫刻まで取り扱うことになり、シャプタル通りに立派な画廊を構え、本店機能もこちらに移した。オランダにも支店ができたが、その際にゴッホの伯父にあたるフィンセント・ファン・ゴッホ(同名異人)が経営陣に加わった。
Galerie Goupil, rue Chaptal
Anonyme / Wikimédia commons

グーピル商会の後継者となるブッソ(Boussod)とヴァラドン(Valadon)は、エネ(Henner)、カバネル(Cabanel)、ボナ(Bonnat)、ルフェーヴル(Lefevbre)などのアカデミー派の定評ある画家たちの作品を集めるのに熱心だった。さらにこれらの画家たちは大半がこの「新アテネ地区」の住人でもあった。

1875年にオランダ出身のある店員が顧客とひと悶着を起こした。彼は横柄な態度で、嫌悪感を隠そうともせずにある絵を持ってきて見せたので、客の上品な身なりの婦人は、その不遜なふるまいに慣れていなかったこともあり、そのがさつなオランダ人を酷い店員だと決めつけてしまったのである。その悪いお手本の店員の名前は、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)だった。まだ彼が22歳の時で、最終的に画家としてパリに乗り込んでくる11年前の出来事である。

(c) Google Map Streetview
 9, rue Chaptal, 9e

伯父の計らいで甥にあたるゴッホ兄弟は早くからグーピル商会に入社した。ゴッホは16歳からハーグ支店で働きはじめ、以後ロンドンとパリに転勤した。上記の事件のように、本人のヤル気も低く、問題社員でもあり、無断欠勤を理由に翌年には解雇となった。一方弟のテオは、1878年のパリ万博を機にパリに転勤し、翌年にはモンマルトル大通りの支店長となった。

19世紀後半においても印刷技術は発達途上にあり、大衆の人気を集めた絵入り新聞や雑誌でも挿絵は石版画や銅版画のほとんど単色刷りであった。
Une mélodie de Schubert, peint par G. de Jonghe
photographié par Goupil & Cie, Paris
BnF Gallica

グーピル商会は手ごろな室内装飾用としての絵画の複製品を販売して成功したが、それには写真製版による印刷技術が確立したからである。

(→)左掲はグーピル商会が製作した複製画の一つで『シューベルトの歌曲』(Une mélodie de Schubert)というタイトルがついている。モノクロながら細部が鮮明に印刷されており、その一時代前までの版画による絵画の「模刻」に比べれば本物らしさに近づいた感じがして喜ばれたという。
タイトルの付け方も販売を左右する。『シューベルトの・・・』と付けただけで、そばで聴いている喪服の婦人が(例えば「セレナード」を聴いたように)メランコリックな気持になっている様子がうかがえてくる。しかし下掲(↓)の元々の絵のタイトルは『練習』(Exercice)であり、ある裕福な家庭での娘のピアノの練習風景を描いたものに過ぎない。
Gustave Léonhard de Jonghe: Exercice
@Wikimédia commons
グーピル商会で働いたゴッホは、こうした平穏無事で平和な家庭風景の絵ばかりがもてはやされるのに腹を立てたのかも知れない。

ベルギー出身でパリとロンドンで活躍した風俗画家ギュスターヴ=レオナール・ド・ジョング(Gustave Léonhard de Jonghe, 1829-1893)は、一般庶民からすれば憧れの、もしくは羨ましく思う有閑階級の美しい婦人たちの優雅な生活風景を次々に絵画市場に出していった数多くの画家の一人である。(LAI)







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