パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年2月21日日曜日

散歩R(20-3) ロマン派美術館 Musée de la Vie Romantique(9区サン=ジョルジュ地区)

☆シャプタル通り16番地 (16, rue Chaptal, 9e)
《ロマン派美術館》 (Musée de la Vie Romantique)
PA00088936 © Monuments historiques, 1992


(c)Photo Emoulu bc20f, 2013

16番地は木立の間に細い通路が奥に伸びている。そこに踏み込むだけで都会とは縁遠い田舎家の雰囲気を感じる。そこに「ロマン派美術館」がある。フランス語のタイトルから直訳すれば「ロマン派的生活展示館」となるが、そのほうがしっくり来る。

Hôtel Renan-Scheffer, actuellement musée de la vie romantique
Myrabella / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-3.0

















奥の家には19世紀ロマン主義の盛んだった時期にオランダ出身の画家アリ・シェフェ(Ary Scheffer, 1795-1858)が30年近く住み続けた。宮廷画家だった父親を早く亡くし、母親と兄弟とともにパリに来て、アリはゲランに師事した。1819年24歳でサロン(官展)に入選して画家への道が開けたが、折りしもロマン主義絵画の隆盛期にあたり、親しくなったジェリコー(Théodore Géricault, 1791-1824)、やドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798-1863) の目ざす思考に共感し、影響を受けた。
Faust et Marguerite, la promenade au jardin
(1846) Collection particulière
Wikimédia commons

しかしながら彼はロマン主義文学のゲーテやバイロンに題材を求めたものの、技法ではむしろアングル(Jean Auguste Dominique Ingres, 1780-1867)に近づいて行き、「冷たい古典主義」(Classicisme froid)と称された。(←)左掲は「ファウストとマルガレーテ」、手に手を取って庭園を散歩する場面である。奥にメフィストフェレスの姿も見える。1846年に描かれた「ファウスト」による連作の一つだが、ちょうどこの年にベルリオーズ(Hector Berlioz, 1803-1869)の劇物語『ファウストの劫罰』(La damnation de Faust)もオペラ・コミック座で初演された。

このシェフェの家は、当時「新アテネ地区」(ヌーヴェル・アテーヌ Nouvelle Athène)と呼ばれたこの地域に住む文人、画家、音楽家たちが頻繁に集う場所でもあったので、それにちなんだ展示を行っている。特にジョルジュ・サンドを中心とした記念品が多く、当時の生活を彷彿とさせる。

アリ・シェフェの姪と結婚したのが哲学者で作家のエルネスト・ルナン(Ernest Renan, 1823-1892)である。ルナンは最初神職者となるつもりで神学校で学んでいたが、1845年22歳の時に信仰心を失い、哲学と考古学の分野に進み、中東で発掘調査に従事した。ヘブライの文献を調べるうちに『イエスの生涯』(La vie de Jésus)を書き著した。これは当時イエスを神ではなく一人の人間として描いたことで、社会にに大きな衝撃を与えた。1879年にはアカデミー・フランセーズの会員に選出された。シェフェの家族の姻戚としてルナンの記念品も展示されている。
ルナンの言葉を一つ:「良い著作家は思っていることの半分程度しか言わないように仕組まれている。」(Un bon écrivain est obligé de ne dire à peu près que la moitié de ce qu'il pense.) (LAI, DNR, PRR, Wiki)

*参考サイト「フランス箴言集」:エルネスト・ルナン
http://promescargot.blog.fc2.com/blog-category-7.html




かたつむりの道すじ:⑱ラ・ブリュィエール通り~⑲エネ通り&ポール・エスキュディエ通り~
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