パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年2月19日金曜日

散歩R(20-2) 旧グラン=ギニョル座跡 Ancien emplacement du Théâtre Grand-Guignol(9区サン=ジョルジュ地区)

☆シャプタル通り20番地 (20, rue Chaptal, 9e)
《旧グラン=ギニョル座跡》 (Ancien emplacement du Théâtre Grand-Guignol)

(c) Google Map Streetview
 20, rue Chaptal, 9e
20番地から奥に細い袋小路が伸びている。その突当りに現在では薄黄色に塗られた劇場の建物が立っている。約百年前のベルエポック時代にはここがグラン=ギニョル座(Grand-Guignol)の劇場だった。この劇場の特色は、出し物が恐怖劇、残虐劇と言われるジャンルのもので、人間心理の暗黒面、つまり憎悪、嫉妬、猜疑心、憤怒などにもとづく犯罪、暴力、復讐、殺人、拷問、狂気の場面を舞台の上で繰り広げ、観客を圧倒することを狙いとしていた。

1899年から第一次大戦の直前まで支配人だったマックス・モーレー(Max Mauley, 1866-1947)の経営手腕と「恐怖劇のプリンス」と称されたアンドレ・ド・ロルド(André de Lorde, 1871-1942)を中心とした劇作家たちによって、大衆向けの娯楽演劇としてのグラン=ギニョル座の人気は定着した。
Le Grand Guignol à 9h tous les soirs
Affiche de Jules-Alexandre Grün
@BnF Gallica







「怖いもの見たさ」とは言え、大惨事や凶行を目の前にした人々が、為すすべもなく見守るという、大昔の公開処刑や闘技場と同じ性質の見世物が人々の気持をかきたてたのだと思う。アンドレ・ジィド(André Gide, 1869-1951)がロルド作の恐怖劇を別の劇場で見たときの感想を下記に掲載する。「観衆の高揚と喝采と恍惚」を傍で目にしたと語るが、群衆心理の恐ろしさを感じて逆に寒気がする。

現在の建物の「国際視覚劇場」(International Visual Theatre)と直訳できる劇場は、聾唖者のための演劇芸術活動の拠点となっているようだ。

*** 新潮文庫「ジイドの日記」第2巻、新庄嘉章・訳、1907年10月16日より引用:
昨日、パリに帰り、コポーの家で昼食をとった。食事が終るや、早速、コポーは私を、ジェミエ劇場の『コドマ氏』の総稽古に引っぱって行く。(…)トリスタン・ベルナールの劇をやる前に、ロルドによるマルティニック島の災害を舞台としたからくり劇がある。噴火は第一幕ではかなり調子よく行く。ところが、送風器の工合が悪くて、場内が煙だらけになった。(…)最後の幕は、偽文学的、非道徳的、反宗教的な主張を持っている。観衆は《劇が高潮して行く》ことを感じて、喝采を送り、恍惚となる。これにはほとんど嘔吐を催させる。


*参考Link :100年前のフランスの出来事:
(1)グラン・ギニョル座の劇作家アンドレ・ド・ロルド(1907.04)
http://france100.exblog.jp/5276820/
(2)アンドレ・ド・ロルドとシャルル・フォレーの新刊 (1908.04)
http://france100.exblog.jp/8210406/



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