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《 ジャン・コクトー幼少期の家 》
詩人、小説家、劇作家、評論家、グラフィックデザイナー、イラストレーター、画家、映画監督などなど、多芸多才の詩人ジャン・コクトー(Jean Cocteau, 1889-1963) はここの家で17歳までの幼少期を過ごした。
彼は1889年裕福なブルジョワ家庭に生まれたが、生地パリ西郊のメゾン・ラフィットは母方の祖父にあたる株式仲買人のウジェーヌ・ルコント(Eugène Lecomte)所有の屋敷であり、パリのこの家もそうだった。両親とも絵画や観劇の趣味があり、祖父も音楽演奏と美術品収集に熱心で、コクトーの豊富で多様な芸術への感性が養われたと思われる。
しかし8歳の時に、弁護士だった父親が55歳で突然ピストル自殺をするという悲劇に見舞われる。その後も彼はこの家で母親と姉と兄と祖父母とともに暮らし続けた。
J.E.Blanche - Portrait de Jean Cocteau (1912) La maison de Jean Cocteau, Milly-la-forêt |
11歳から名門のリセ・コンドルセ(Lycée Condorcet)の中等部に入学する。この少年時代の体験が後年の小説『恐るべき子供たち』(Les Enfants terribles)の冒頭部に取り入れられている。13歳で高等部に進級後、学業にあまり身が入らず、学校を休んで芝居や遊び事に夢中になり、15歳を目前に退学処分となる。その後、家庭教師や私塾に通い、バカロレア(Baccalauréat 大学入学資格試験)に挑戦するが、17歳、18歳と2年連続で失敗し、大学進学を断念した。
その間、コクトーは詩を書いたり、文学サロンに出入りしたり、女優と関係を持ったりと、早熟ぶりを発揮し、1908年4月には18歳で自作の詩の朗読会をフェミナ劇場で開くことになった。
*参考Link:100年前のフランスの出来事
フェミナ劇場の落成 (1907.03.19)
http://france100.exblog.jp/4903576/
(↑)上掲は22歳の頃に描かれたコクトーの肖像画で、当時有名人・著名人の肖像画を次々と描いて評判を得ていた画家のジャック=エミール・ブランシュ(Jacques-Emile Blanche, 1861-1942)の作品である。いかにも良家の御曹司の横顔(これは右向きで成功している)で気品漂う姿に仕上がっている。
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