パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年2月7日日曜日

散歩R(18-8) 画家ジャン=ジャック・エネの住居 Demeure de peintre Jean-Jacques Henner(9区サン=ジョルジュ地区)



(c)Photo Emoulu bc18fa, 2013
☆ラ・ブリュイエール通り41番地 (41, rue La Bruyère, 9e) 
《画家ジャン=ジャック・エネの住居 》

アカデミー派の画家ジャン=ジャック・エネ(Jean-Jacques Henner, 1829-1905)はアトリエをピガール広場(Place Pigalle)11番地に構えていたが、この41番地を終生の住まいとした。その碑銘板が入口に掛けられている。



Nymphe debout, de dos se mirant dans
 l'eau / Paris, Musée J.J.Henner
Crédit Photo (c)RMN-Grand Palais
/ Tony Querrec


彼は1863年に34歳でサロン(官展)に初入選してたちまち評判となり、若手の中でも画壇が最も期待を寄せる画家の一人と称された。サロンでもてはやされた立場であっても、彼は近所のカフェに集まる印象派の画家たちとの交友を保った。(LAI, DNR, PRR)

◇パリ蝸牛散歩内の関連記事:
9区サン=ジョルジュ地区(10-9)カフェ・ル・ラロシュとパヴァール
http://promescargot.blogspot.jp/2015/11/10-9.html


エネは好んで肌が青白く消え入るような裸体画を描いたが、それらはしばしば詩情に満ち、次第に象徴主義の画家たちのような甘美な幻夢を思わせる作品が多くなった。
(←)左掲は『水面に映る自分に見とれて立つ妖精の後姿』という長い題だが、最晩年の1902年の作品である。


Portrait d'Eugénie-Marie Godiffet-
Caillard dite Germaine Dawis
Paris, Musée J.J.Henner
Crédit Photo (c)RMN Grand Palais
/ Franck Raux

彼はまた単純な横向きの肖像画も好んで描いた。(→)右掲は『ウジェニー=マリー・ゴディフェ=カイヤール、通称ジェルメーヌ・ダヴィの肖像』とこれまた長い名前の題である。不思議なのは、この女性をモデルにした同じ横向きの肖像画をエネは何年かにわたって少なくとも6点描いている。

*参考Link: Jean-Jacques Henner
Joconde - Portail des collections des musées de France

彼女は、ジェルメーヌ・ダヴィ(Germaine Dawis, 1857-1927)という名前の画家としても知られていた。20歳ですでにサロンに入選するという才能の持ち主だった。思うにエドゥアール・マネがベルト・モリゾをモデルにして何点かの作品を描いたように、エネも指導を受けに来たジェルメーヌをモデルにし続けたのだろう。親子ほどの年齢差があったので、恋愛沙汰があったかどうかは定かでない。肖像画からは芯の強そうな個性がうかがえる。ジェルメーヌ自身の作品は検索でも出て来るが、エネの色調にそっくりなのと、裸婦画が多いという共通点が見られる。しかし残念ながら至極凡庸である。

もう一つの疑問として「なぜ横向きの肖像画は左向きが多いのか?」が気になって仕方がない。一般論として「右利きの人は左向きの横顔が描きやすいが、右向きの横顔はなかなか描けない。」と言われている。これは経験則なのだろうが、横に線を引く場合でも、横に文字を書く場合でも左から右方向にはやりやすいが、右から左へはやりにくいのと同じ原理らしい。従って「右向きの横顔は左利きの画家ならば易しい」ということになる。



La porte cochère, 43 rue de La Bruyère, 9e
JLPC / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-3.0

☆ラ・ブリュイエール通り43番地 (43, rue La Bruyère, 9e) 

隣の43番地は、二階まで突き抜ける堂々とした馬車門(Porte cochère)、つまり19世紀に馬車で中庭まで乗りつけることができた屋敷門である。この門の前がT字路になっており、画家のエネの名前を冠したエネ通り(Rue Henner)のほうからやってくると、この門にまっすぐ突き当たる。存在感のある門である。













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