パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年2月13日土曜日

散歩R(19-1) 詩人アポリネールの住居 1er demeure à Paris de Poète Apollinaire(9区サン=ジョルジュ地区)

散歩者はラ・ブリュィエール通りを引き返し、43番地の馬車門のところからT字路となっているエネ通り(Rue Henner)に入る。昔はレオニー通り(Rue Léonie)だったが、画家のジャン=ジャック・エネがすぐ近くに住んでいたのを記念して、エネ通りとなった。この一帯も閑静な住宅街である。

(c) Google Map Streetview
 9, rue Henner, 9e
☆エネ通り9番地 (9, rue Henner, 9e) 
《詩人アポリネールの住居》(1er demeure à Paris de Poète Apollinaire)

20世紀初頭に活躍した詩人ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire, 1880-1918)が1907年から1909年までの約2年半の間ここに住んでいた。

アポリネールは(父親は不詳)、母親がポーランド人でローマに生まれたが、高校まで南仏で過ごし、19歳の1899年にパリに母親と異父弟とともにやって来た。本名はヴィルヘルム・アポリナリス・ド・コストロヴィツキー(Wilhelm Apollinaris de Kostrowitzky)だったが、フランス語風の通称「ギヨーム・アポリネール」を使った。一家はまもなくパリ西郊のル・ヴェジネ(Le Vésinet)に住むようになり、アポリネールは列車でパリに通って、様々な新聞社や雑誌社で記事を一行いくらの歩合制で書く仕事をする傍ら詩作を始めた。

1904年に彼は同年代の画家のピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)と知り合った。ピカソはパリに定住し始めた頃で、サン=ラザール駅近くのホテル「オースティンズ」(Austin's)の彼の部屋に仕事を終えたアポリネールが列車の時間を待つ間、訪れてしばらく話し込む日々があったという。

アポリネールは27歳となった1907年4月からエネ通りで一人暮らしを始める。雑誌の編集の仕事も頼まれたが、当時は雑誌そのものが継続して発行できるものは少なく、泡沫のように出ては消えるものがほとんどで、生活が安定しなかった。5月にピカソから女流画家のマリー・ローランサン
Marie Laurencin : Apollinaire et ses amis (1909)
Paris, Musée Picasso / Crédit Photo (C) Centre Pompidou,
MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Jean-Claude Planchet
Droits d'auteur: (C) ADAGP
(Marie Laurencin, 1883-1956)を紹介され、二人は恋に落ちた。

(→)右掲はローランサンが1909年に描いた『アポリネールと友人たち』という作品で、中央のアポリネールを取り囲むように(女性の方が多いが)友人たちが並んでいる。描く対象を様々な方向から捉えた要素を一つの絵の中にまとめ上げるというキュビスム的な手法の萌芽がうかがえる。

アポリネールは大柄な体格と物腰の品の良さ、趣味の幅広さ、奇抜な言動、さらに大食漢であることで友人たちを魅了し、作家のマックス・ジャコブ、アルフレッド・ジャリ、画家のピカソ、ヴラマンク、ドランなどとの交友を深めて行った。マリー・ローランサンとは結婚も考えたようだが、生活基盤の問題に加え、互いに自由な芸術活動の環境を考えれば、踏み切れなかったのではないかと思う。そして月日は流れる。

*参考サイト「フランス箴言集」:アポリネール
http://promescargot.blog.fc2.com/?q=apollinaire



☆エネ通り7番地 (7, rue Henner, 9e) 

手前の7番地にある門飾りには丁寧な細工の古典的な顔像が見られる。
(c)Photo Emoulu bc19fa, 2013