パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年2月11日木曜日

散歩R(18-10) 作曲家ベルリオーズの熟年期の住居 Demeure de compositeur Berlioz à l'âge mûr(9区サン=ジョルジュ地区)


(c) Google Map Streetview
 53, rue La Bruyère, 9e
☆ラ・ブリュイエール通り53番地 (53, rue La Bruyère, 9e) 
《作曲家ベルリオーズの熟年期の住居 》 (Le domicile de compositeur Berlioz dans la période d'âge mûr)

53番地には作曲家のベルリオーズ(Hector Berlioz, 1803-1869)が1849年から1856年までの7年余り、年齢で言うと45歳から52歳まで住んだ。当時すでに妻で元女優のハリエット(Harriet Smithson, 1800-1854)とは別居しており、愛人で歌手のマリー・レシオ(Marie Recio, 1814-1862)が母親を連れて一緒に暮らしていた。

マリー・レシオは本名をマリー=ジュヌヴィエーヴ・マルタン(Marie-Geneviève Martin)といい、スペイン人の母親の姓を芸名にしてオペラ歌手として1840年頃から活動していた。すぐさまベルリオーズは彼女と恋愛関係となり、オペラ座等に彼女を推薦する口利きをした。1842年にはベルリオーズが初めて国外公演を行うことになり、ベルギーに旅立つが、その際に彼女を同伴していって公演で歌わせたのが、ハリエットとの別居のきっかけとなった。(Berlioz: Mémoires Chap.51: Mais je ne partis pas seul, j'avais une compagne de voyage qui, depuis lors, m'a suivi dans mes diverses excursions. )

マリーは歌手としては平凡な才能しかなく、その歌唱がほとんど注目されることはなかった。ベルリオーズも自身の回想録で、最初の妻ハリエットとの大恋愛とその後の人生における記述に比べれば彼女の名前も存在も明かすことを避けたようで、あくまでも陰の愛人の立場だった。1854年に別居中だった妻のハリエットが長患いの末54歳で亡くなると、その半年後に正式に結婚する。
Hector Berlioz : Lithographe d'Étienne Carjat
1857, BnF département musique
「私は再婚した...そうしなければならなかったのだ。」
(Berlioz: Mémoires - Épilogue : Je suis remarié ... je le devais.)

ここに住んだ時代は二月革命の後で、ナポレオン3世が実権を掌握し、第2帝政が始まる時期であった。
ベルリオーズはロンドンでの事例に倣ってパリに「フィルハーモニック協会」(Société Philharmonique)を設立し、管弦楽コンサートを定着させようとしたが、長続きせず失敗した。
作曲では、オラトリオ『キリストの幼時』(L'Enfance de Christ)三部作とカンタータ『皇帝賛歌』(L'Impériale)を完成させた。彼は自分の芸術表現の手段として、数百人規模の大編成の管弦楽と合唱団を駆使して巨大な会場での大音響を目ざしたため、準備に人手と手間がかかり過ぎ、一部には彼の誇大妄想を指摘する人も出て、パリの音楽界では敬遠されていた。

 1855年にパリで開催された第1回万国博覧会はベルリオーズにとって絶好の機会となった。広大な主会場、産業宮での指揮の依頼が来たのは、終盤となった閉会式の1カ月前で、式典での演奏と翌日の記念コンサートを担当した。式典では総勢900人規模、また翌日の記念コンサートではハープ30台、管楽器奏者100人、合唱団700人など、全体で1250人、正指揮者ベルリオーズの他に5人の副指揮者が態勢を整え、上記の『皇帝賛歌』や『テ・デウム』などの自作品のほかベートーヴェン、ロッシーニ、マイヤベーア、グルックなどの作品が演奏された。聴衆は4万人を超え、コンサートは大成功を収めた。

Vue intérieure de la grande nef du Palais de l'Industrie Exposition universelle de 1855
Lithographe de Jules Arnout (1814-1868), Bibliothèque nationale de France
*参考文献:井上さつき著『音楽を展示する(パリ万博1855-1900)』法政大学出版局2009

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