パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年1月29日金曜日

散歩R(18-4) 女流詩人マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの居宅 Demeure de Poète Marceline Desbordes-Valmore(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ラ・ブリュイエール通り8番地 (8, rue La Bruyère, 9e)  
《女流詩人マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモールの居宅》
(c) Google Map Streetview
 8, rue La Bruyère, 9e
(Demeure de Poète Marceline Desbordes-Valmore)

マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール(Marceline Desbordes-Valmore, 1786-1859)はロマン主義時代の女優であり、詩人であった。
フランス北部ドゥエの生まれ、少女時代に母親を亡くし、16歳から地元の劇団に入って各地を転々とする。女優のほか、舞台歌手、オペラ歌手としてもルーアン、リールの地方都市やパリのオデオン座、オペラ・コミック座でも活躍し、うぶな小娘役(ingénue)を得意とした。当時の人気俳優のタルマ、マリー・ドルヴァルと出会い、特にマルス嬢とは終生の友となった。

21歳の時に初めて詩作が新聞に掲載された。22歳からの2年間は俳優で劇作家のアンリ・ド・ラトゥシュ(Henri de Latouche, 1785-1851)と熱烈な恋愛関係となり、一度途絶えたその関係はその後も断続的に続き、彼女の詩作に大きな影響を与えた。
31歳で俳優のヴァルモール(Valmore)と結婚し、リヨンに定住し、夫と子供を支えつつ、詩作を続けた。1819年33歳のときに最初の詩集『悲歌と恋歌』(Élégies et Romances)を出版すると大きな注目を集め、新聞や雑誌からの依頼が来るようになった。生活は貧困状態が続き、幼な児を2人も亡くし、娘の病気と彼女自身の恋愛感情に悩みつ
Marceline Desbordes-Valmore
Bibliothèque municipale
de Douai
つ、それらの気持の高ぶりをありのままに詩作に吐露する率直さで《涙の聖母》(Notre-Dame des Pleurs)とも称された。

46歳で女優を廃業し、その後も『涙』(Pleurs, 1833)、『哀れな花』(Pauvres fleurs, 1839)、『花束と祈り』(Bouquets et Prières, 1843)と詩集を出している。
このラ・ブリュイエール通り8番地の家には、彼女が52歳の1838年から約2年間住んだとされている。パリでの著作活動とともに、ちょうど病弱ながらも学業優秀な娘オンディーヌがセーヌ県の女子寄宿学校の教員として難関を突破して採用された時期であった。この娘も優れた詩作を残したが、31歳で病死してしまう。

詩人のボードレール(Charles Baudelaire, 1821-1867)は彼女の業績を高く評価し、「女性的なるもののあらゆる美しさを並外れて詩的に表現した女性だった」と語っている。(PRR, Wiki)

Les compositeurs de Marceline Desbordes-Valmore
@Amazon.fr
彼女の詩を歌詞にしたフランス歌曲が有名無名の多くの作曲家によって作られている。(→)右掲のCDは2009年に制作された。現在はmp3のダウンロードで試聴や購入ができる。
この中では、セザール・フランク(César Franck, 1822-1890)作曲の『夕べの鐘』(Les cloches du soir)が最も良く知られ、楽譜が Imslp に収蔵されている。
パリで晩年を送ったロッシーニ(Gioacchino Rossini, 1792-1868)による『枝垂れ柳』(Le Saule pleureur)も味わい深い曲だが楽譜が見当たらないのが残念。
ショパンの先輩格にあたるジョン・フィールド(John Field, 1782-1837)も2つの歌曲を作っていたのは貴重である。
この他にサン=サーンスやレイナルド・アーンなど作曲者は広範囲な世代に及んでいる。

またYoutubeでは詩の朗読を読み聞かせる動画・静止画も少なくない。古きロマン派時代の彼女の詩がいかに時を超えて現代でもこれほどまでに親しまれているかを知ると本当に驚くしかない。

(1) N' écris pas ... Marceline Desbordes-Valmore
   このファイルは「遺稿詩集」の中の「書かないで」(N'écris pas)という詩の朗読だが、伴奏に乗って語るシャンソン・パルレ(Chanson parlée)のスタイルで雰囲気が出ている。詩の後半部分を参考に掲載する。

N'écris pas. Je te crains ; j'ai peur de ma mémoire ; 書かないで 気がかりなの 私の記憶は
Elle a gardé ta voix qui m'appelle souvent.      あなたの声を忘れずにいて思い出させるの
Ne montre pas l'eau vive à qui ne peut la boire.   激しい水の流れを見せないで 飲めないから
Une chère écriture est un portrait vivant.       親しみのある文字は生きた肖像のよう
N'écris pas !                        書かないで!

N'écris pas ces doux mots que je n'ose plus lire :  書かないで その優しい言葉はもう読めないの
Il semble que ta voix les répand sur mon coeur ;  それはあなたの声が私の心の上に広がるよう 
Que je les vois brûler à travers ton sourire ;     あなたの微笑みを横切って燃えさかるよう
Il semble qu'un baiser les empreint sur mon coeur. 私の心に痕が残る接吻のよう
N'écris pas !                        書かないで!


(2) Les séparés (N'écris pas) - Julien Clerc
 フレンチ・ポップス歌手のジュリアン・クレール(Julien Clerc, 1947- ) が1997年に「別れし者」(Les Séparés)というタイトルで発表した曲で、(1)の「書かないで」を歌っている。(一部原詩と言葉を言い変えている。la nuit⇒l'amour,  absence⇒silence, brûler⇒briller)

(3) Les cloches du soir
 「夕べの鐘」をドラポルト(Gildas Delaporte)作曲のポップス調の柔らかい曲としてヴァン・デン・ブリンク(Bert van den Brink)が歌っている。

(4) Albert Huybrechts - Les roses de Saadi (Desbordes-Valmore)
 ベルギー出身の39歳で夭折した作曲家アルベール・ユイブレク(Albert Huybrechts, 1899-1938)が「遺稿詩集」の中の「サァディの薔薇」(Les roses de Saadi)に作曲した歌曲。


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