《作家ゴンクール兄弟の旧居》
(c) Google Map Streetview 43, rue Saint-Georges, 9e |
パリで教育を受けたものの、彼らにとっては相続によって働かなくとも食うに困らない金利収入が得られるという身の上となったので、二人で情熱を傾けることができる文学と芸術の分野に進むことに決心した。各地を旅行した後、1849年12月17日からこのサン=ジョルジュ通り43番地の家に住み始めた。エドモン27歳、ジュールは19歳だった。最初の冬は通りに面した1階の薄暗い部屋だったが、やがて中庭の奥の4階の部屋に移った。
Edmond et Jules de Goncourt Lithographie de Gavarni (1853) dans la suite de "Messieurs du feuilleton" @BnF Gallica |
ここは当時の歓楽街で有名なブレダ地区に隣接しており、娼家や妾宅も多かった。兄弟はこれらの地域に暮らす様々な人間模様を克明に観察し、上辺は華やかでも実生活では悲哀に満ちた実態を作品に描き出した。それはやがてゾラなどの自然主義文学に受け継がれた。
代表作の小説『ジェルミニー・ラセルトゥ』(Germinie Lacerteux, 1865)については、一人の真面目な家政婦が実は裏で別の顔を持った人間として生活し、最後はアルコール中毒と肺結核で病死するという物語である。これにはゴンクール兄弟の家の家政婦として25年以上も働いてきたロザリー(ローズ)という女性が1862年に亡くなったとき、葬儀のあとでその意外な二重生活が露わになって驚いたという事実をもとにしている。
1868年にパリ16区のオートゥイユに引っ越すまでの、ここでの19年間は兄弟としての創作活動の最盛期でもあったと思われる。(LAI, PRR)
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