パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年1月11日月曜日

9区サン=ジョルジュ地区(16-2) ゴンクール兄弟の旧居

☆サン=ジョルジュ通り43番地 (43, rue Saint-Georges, 9e)
《作家ゴンクール兄弟の旧居》


(c) Google Map Streetview
 43, rue Saint-Georges, 9e
ゴンクール兄弟(Les frères Goncourt)は、兄エドモン・ド・ゴンクール(Edmond de Goncourt, 1822-1896)と8歳年下の弟ジュール・ド・ゴンクール(Jules de Goncourt, 1830-1870)が共同執筆の形で文学活動をした筆名でもあった。フランス東北部に広大な土地を所有する家系に生まれたが、両親と妹を若くして相次いで失い、エドモンが26歳の時にはこの兄弟だけが残った。

パリで教育を受けたものの、彼らにとっては相続によって働かなくとも食うに困らない金利収入が得られるという身の上となったので、二人で情熱を傾けることができる文学と芸術の分野に進むことに決心した。各地を旅行した後、1849年12月17日からこのサン=ジョルジュ通り43番地の家に住み始めた。エドモン27歳、ジュールは19歳だった。最初の冬は通りに面した1階の薄暗い部屋だったが、やがて中庭の奥の4階の部屋に移った。

Edmond et Jules de Goncourt
Lithographie de Gavarni (1853)
dans la suite de "Messieurs du feuilleton"
@BnF Gallica
彼らの文筆活動は、歴史や美術、骨董の分野から次第に演劇や小説に広がって行った。1851年からはジュールが「日記」(Journal)をつけ始めた。この日記は1870年にジュールが若くして病死した後もエドモンによって書き継がれ、「文芸生活の思い出」(Mémoires de la vie littéraire)という副題で出版され、19世紀後半の文芸界のみならず、広範囲にわたる社会の時事風俗の記録として貴重な資料となっている。

ここは当時の歓楽街で有名なブレダ地区に隣接しており、娼家や妾宅も多かった。兄弟はこれらの地域に暮らす様々な人間模様を克明に観察し、上辺は華やかでも実生活では悲哀に満ちた実態を作品に描き出した。それはやがてゾラなどの自然主義文学に受け継がれた。

代表作の小説『ジェルミニー・ラセルトゥ』(Germinie Lacerteux, 1865)については、一人の真面目な家政婦が実は裏で別の顔を持った人間として生活し、最後はアルコール中毒と肺結核で病死するという物語である。これにはゴンクール兄弟の家の家政婦として25年以上も働いてきたロザリー(ローズ)という女性が1862年に亡くなったとき、葬儀のあとでその意外な二重生活が露わになって驚いたという事実をもとにしている。

1868年にパリ16区のオートゥイユに引っ越すまでの、ここでの19年間は兄弟としての創作活動の最盛期でもあったと思われる。(LAI, PRR)

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