パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年1月23日土曜日

散歩R(18-1) 画家アルベール・メニャンのアトリエ Ancien atelier de peintre Albert Maignan(9区サン=ジョルジュ地区)


(c) Google Map Streetview
 1, 3 et 3bis, rue La Bruyère, 9e
☆ラ・ブリュイエール通り1番地 (1, rue La Bruyère, 9e)  《画家アルベール・メニャンのアトリエ》

サン=ジョルジュ広場からノートルダム・ド・ロレット通りの坂を少し上がってすぐ左に斜めの道が開ける。ラ・ブリュイエール通りである。分岐点のところの道幅が広くなっているので、建物の連なりが見渡せる。(↑)上掲の写真がラ・ブリュイエール通りの南側で奇数番地の1、3、3Bである。パリの建物と日本の建物の違いは、間に隙間が無いことで、びっしりと隣合って建っている。地震がほとんどないからかも知れない。1番地の、壁がローズピンク色の建物は、最上階の5階が芸術家のアトリエ仕様になっている。隣の3番地の造作もそのようだ。

A.Maignan: La Fortune passe (1895)
@DEA / G. DAGLI ORTI, Getty Images

1番地には画家のアルベール・メニャン(Albert Maignan, 1845-1908)が1880年頃から30年間近くここにアトリエを構えていた。フランス中西部の出身で、パリに出て法律を勉強したが、20歳から絵画の道に進み、22歳で早くも美術サロン(官展)に初入選した。当初はアカデミー流の伝統的で丹念な歴史画を描いたが、40代後半からパリ市庁舎や万博会場、オペラ・コミック座などにおける装飾壁画の注文が続いた。1900年にはパリ・リヨン駅内の豪華なレストラン「トラン・ブルー」の大壁画を担当した。

(→)右掲は1895年のサロンに出展した『幸運が通り抜ける』と題した作品で、劇場(あるいは証券取引所か?)の前の階段をつむじ風が通り抜けるようにその中に幸運の女神を幻視する一瞬を描いている。彼はしばしばこのようなブルジョワ社会の繁栄の中に霊感の憑依的な姿を描くことがあった。

*参考Link:100年前のフランスの出来事
(1)1906年春季展(サロン)Ⅱ-1 メニャン「ナルシスの死」(1906.04)
http://france100.exblog.jp/1738230/
(2)画家アルベール・メニャン死去 (1908.09.29)
http://france100.exblog.jp/9661449/



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