1824年以降、ドーヌ(Dosne)という投資家がこの一帯を住宅地として売り出した。特に「新アテネ地区」(ヌーヴェル・アテーヌ Nouvelle Athène)という呼称で、文人たち、芸術家たち、俳優たち、他の有名人たちがこぞって移り住んだため、人々に選り好みされた地区となった。(CVP)
(c)Photo Emoulu bc08f, 2013 |
[ 彼らはサン=ジョルジュ広場に出た。閑静で田舎じみていて、その一角の小さなビストロは白ワインの香りがした。メグレはごく自然に扉を押した。(・・・)錫張りのカウンターは気持ちよく磨かれており、ヴーヴレー産のワインはグラスの中で緑がかった光沢を見せ、渇きを誘った。](第2章より)
Ils avaient atteint la place Saint-Georges, calme, provinciale, avec son petit bistrot qui sentait le vin blanc. Maigret, tout naturellement, en poussait la porte. (...) L'étain du comptoir était fraîchement astiqué, le vin de Vouvray, dans les verres, avait des refrets verdâtres qui donnaient soif.
(c)Georges Simenon : La première enquête de Maigret ; Chap.2)
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9区サン=ジョルジュ地区 (11-3) メグレ警視最初の事件の警察署跡
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(c)Photo Emoulu bc03, 2013 |
Gavarni : Les Lorettes /41. Qu'est ce que tu lis là? (IFF 234) Paris, Musée Carnavalet Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais / Agence Bulloz |
この広場はノートルダム・ド・ロレット教会の裏手から始まるノートルダム・ド・ロレット通りの中間地点となっている。この「ロレット」(Lorette)という地名が、19世紀中頃にこの地域に住みついた美しい女性たち、つまり高級娼婦という単純な言い方では美貌に加えて知性と教養にあふれる彼女たちを言い表し難いことから、「ラ・ロレット」(La Lorette)という呼称として用いられるようになったのである。彼女たちの相手は当時隆盛してきたブルジョワ階級の実業家、資産家が多数を占めた。バルザックも『浮かれ女盛衰記』などの作品で描いている。
ガヴァルニはこの地域に住んでいたこともあり、彼女たちの日常の様相を数多く描いている。
(↑)上掲は、連作版画集「ロレットたち」(Les Lorettes)の一つである。説明文には:「そこで何読んでるの?」、「女たちの取り得よ。」、「あんた病気じゃない?」
かたつむりの道すじ:⑮ドーマル通り~⑯サン=ジョルジュ通り~ ⑰サン=ジョルジュ広場~⑱ラ・ブリュィエール通り (c) Google Map |
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