パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年11月5日木曜日

散歩R(9-3) 女流画家エヴァ・ゴンザレスのアトリエ跡 Emplacement de l'atelier d'Eva Gonzalès(9区サン=ジョルジュ地区)

(c) Google Map Streetview
 11, rue Henry-Monnier, 9e
☆アンリ・モニエ通り11番地 (11, rue Henri-Monnier, 9e)
《女流画家エヴァ・ゴンザレスのアトリエ跡》Emplacement de l'atelier d'Eva Gonzalès

ここの通りに面した4階は元々文筆家のエマニュエル・ゴンザレス(Emmanuel Gonzalès, 1815-1887)の住まいであった。ゴンザレスはスペイン風の苗字だが、貴族の末裔でフランス中西部出身である。20代からパリで活躍し、新聞小説や評論で名を高める一方、自身で雑誌「カリカチュア」(Caricature)を主宰し、文芸家協会(Société des gens de lettres)の会長にもなった。彼には娘が2人おり、幼い頃から家に出入りする文学界、美術界の有名人に身近に接する環境で育った。特に長女のエヴァ・ゴンザレス(Eva Gonzalès, 1849-1883)は絵の才能を早くから示し、天才少女と言われた。

彼女は印象派の画家ドガ、モネ、シスレーの作品に惹かれ、「オランピア」事件で物議をかもしたマネ(Edouard Manet, 1832-1883)に紹介されると、その指導を受ける決心をした。20歳でアトリエに通ううちにマネの絵のモデルにもなった。


Eva Gonzales : Une loge aux Italiens
Paris, Musée d'Orsay
Crédit : Photo (C) RMN-Grand Palais / Hervé Lewandowski
次の年には早くもサロンに入選し、評判を呼んだ。マネとの親密な関係も取り沙汰された。作風はマネの影響を受けて、印象派の画家たちにも近いものだったが、サロンでは一定の評価を得ていたこともあって、印象派展には参加しなかった。
彼女は住まいの近所や同じ建物の別の部屋に自分のアトリエを構えた。(←)左掲の「イタリア座の桟敷」(1874)は彼女の代表作で見事な出来である。モデルは妹のジャンヌとエヴァの夫となる挿絵画家アンリ・ゲラールである。

30歳で結婚して以降も制作を続けたが、息子の出産の直後に血栓症で急死した。34歳だった。奇しくもマネが死去した5日後だった。(LAI, Wiki)



☆アンリ・モニエ通り9番地 (9, rue Henri-Monnier, 9e)
(c) Google Map Streetview
 9, rue Henry-Monnier, 9e

 この建物は周りに比べても格調の高い様相を示している。気になるのが2階の引っ込んだバルコニー窓の造作である。この旧ブレダ地区にあって、この建物が花街の娼家(メゾン・クローズ, maison close)として使われたかどうかは歴史的に定かではないが、構造的に見て、冒頭に掲載した「飾り窓の女」が、仮にこのベランダに座っているのが見えたとしても不思議ではないように思えてくる。










かたつむりの道すじ:(8) トゥドーズ広場~(9)アンリ・モニエ通り~
(10)ノートルダム・ド・ロレット通り (c)Google Map