パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年11月9日月曜日

散歩R(10-2) 探偵小説家ガボリオの住居 Ancienne demeure de Gaboliau, père de Roman Policier(9区サン=ジョルジュ地区)




(c) Google Map Streetview
 39, rue Notre-Dame de Lorette, 9e
☆ノートルダム・ド・ロレット通り39番地 (39, rue Notre-Dame de Lorette, 9e) 《探偵小説家ガボリオの住居》Ancienne demeure de Gaboliau, père de Roman Policier

この住居にはフランスの探偵小説の創始者とされる作家エミール・ガボリオ(Émile Gaboriau, 1832-1873)が住んでいたが、その人気の絶頂期に脳卒中の発作で急死した。前日に海辺でのバカンスから夫婦でパリに戻ったばかりで、休暇中に新作の構想を練っていて、これから執筆に取りかかるところだったという。40歳だった。

フランスでは1850年代頃からいわゆる大衆紙、つまりあまり政治的な主張をせずに市民生活に関する記事を掲載し、面白い連載小説(ロマン・フィユトン Roman feuilleton)で翌日の配達を心待ちにさせる廉価な新聞が次々と発刊されるようになった。

新聞小説には様々なスタイルの作家が星の数ほど輩出したが、評判の悪い小説はさっさと打ち切られたり、作家たちも淘汰された。ガボリオが何作か目に発表した「ルルージュ事件」(L'Affaire Lerouge, 1866)は、これまでに例がない新しいジャンル、つまり「刑事小説」(Roman judiciaire)を創り出したと言われた。

E.Gaboriau-L'Affaire Lerouge
Affiche de L'Edition Dentu
@BnF - Gallica
フランスでは、例えばある殺人事件が起きると、まず地元の警察署が現場に急行する。続いて司法警察(Police judiciaire)の警視と予審判事、それに検死医の三者が到着して、これを刑事事件として取り扱うか否かを判定するという流れになっている。もちろんそこから捜査の指揮をとるのは警視であり、動くのはその配下の刑事たちである。

ガボリオは下積みの時代にこうした警視庁や死体安置所(モルグ)や裁判所に頻繁に出入りし、捜査活動の実際をつぶさに観察してきたので、作品を構成するための貴重な体験となった。こうした警察官の地道な捜査で事件の真相が解明されるというパターンは画期的なもので、彼がフランス探偵小説の父と呼ばれる所以となった。現在では「ロマン・ポリシエ」(警察小説、Roman policier) あるいは「ポラール」(Polar)と呼ばれている。いわゆる英米の「探偵小説」(Detective novel)とは呼称が微妙に異なるのも、面白い。

「ルルージュ事件」で注目されたガボリオは、「プチ・ジュルナル」紙の専属作家として抱えられ、7年間次々と連載小説を出し続けたが、原稿が出来上がるのをそばで催促されるような人気ぶりで過労がたたったのかも知れない。

ガボリオの作品は、遠く離れた明治時代の日本でもすぐに翻訳・翻案されて親しまれたのは、新聞小説(ロマン・フィユトン)の根底にある市民生活のトラブルや人間の欲望・犯罪に絡んだ社会描写に、バルザックの「人間喜劇」から続く人生の断面を垣間見る伝統があったからではないだろうか。

*参考Link : "Sur les pas des ecrivains" : Emile Gaboriau (仏文)