パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年11月19日木曜日

散歩R(10-7) 画家ゴーギャンの生家 Maison natale de Paul Gauguin(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ノートルダム・ド・ロレット通り56番地 (56, rue Notre-Dame de Lorette, 9e)
《画家ゴーギャンの生家》 (Maison natale de Paul Gauguin)
(c) Photo Emoulu bc06a, 2013

後期印象派の画家であり、彫刻家、作家でもあったポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903)がこの家で生まれたという小さな銘板が窓枠の間に掛かっている。
父親は共和派の新聞「ナシオナル」(National)の記者、母親は南米ペルーに入植したスペイン人家族の出であった。この家は両親が借りて住んでいたというだけで、ゴーギャンは幼時期を過ごしたのにすぎない。
彼が生まれて3歳足らずの頃に、2月革命後の政界でルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)の勢力が強大となったのを嫌って、一家はフランスを離れ、ペルーの親族を頼って船に乗った。ところがその途上で父親は病死してしまい、母子だけとなってペルーに到着し、ゴーギャンは7歳までその地で育った。その後、フランスに戻って教育を受けたが、17歳で船員となり南米航路で働き、20歳からは海軍に入り、普仏戦争に従軍した。敗戦後、23歳で退役し、1871年にパリのラフィット通りにある株式仲買人の事務所で働いた。まもなく妻子も持ち、ある程度裕福な暮らしができた。

Gauguin Paul : La Seine au pont d'Iéna. Temps de neige, 1875
Photo (C) RMN-Grand Palais (Musée d'Orsay) / Thierry Le Mage
彼が絵画に傾倒するのは1874年、画家のピサロを紹介され、第1回目の印象派展で大いに刺激を受け、それまで趣味としていた絵画を次第に専業とするようになって行く。
右掲(→)の絵は、彼の初期の作品「イエナ橋付近の雪のセーヌ河」(1875)である。まだピサロやモネ、ヨンキントの技法を習得中で、丹念な絵ではあるが、ゴーギャン独特の色彩や筆致は見られない。