☆アテーヌ通り1番地の2 (1bis, rue d'Athènes, 9e)
《サラ・ベルナールの若年期の住居》(Demeure de jeune Sarah Bernhardt)
PA00088920 © Monuments historiques, 1992
1番地の2は細長い高さの建物で、現在は1階部分が駐車用ガレージになっていてあまり見栄えがしない。2階から上は唐草模様と仮面像の細かな装飾が見える。この建物は19世紀後半期のものと思われる。歴史的建造物に指定された理由は、一時流行した新ルネサンス様式の建物であることと、大女優のサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)がまだ若い女優だった頃に住んでいた場所だったからかも知れない。
Paris 9ème arrondissement - Immeuble 1bis rue d'Athènes Own work MOSSOT Creative Commons Attribution 3.0 Unported license. |
Gustave Doré : Portrait de Sarah Bernhardt jeune Paris, Bibliothèque nationale de France (BnF) Photo (C) RMN-Grand Palais / Agence Bulloz |
サラ・ベルナールは1862年17歳でパリ演劇院(コンセルヴァトワール)を卒業し、コメディ・フランセーズに入ったが、4年後に団員と喧嘩をして退団させられ、オデオン座に移った。1869年『通りすがり』(Le Passant)で初めて大成功を収めて注目された。
この家に住んでいたのはこの駆け出しの時代ではないかと思われる。当時の文化庁の記録簿に女優のロジーヌ・ベルナール(Rosine Bernard)がこの住所に登録していたと記載されていたからである。このロジーヌという名前はアンリエット、サラ、マリーとともに彼女の本名の一つとされ、姓のベルナールもフランス人風に(便宜的に)変えていた。
20代後半の頃でも彼女は才能のある女優として知られてはいたが、舞台の役回りで興味を引く演目がまだ少なかったため、彫刻を学び、画塾に通って、サロンに出展するまでになった。また恋愛を通して多くの芸術家と交流した。俳優仲間ではムネ=シュリー、リュシアン・ギトリ、劇作家のヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802-1885)、画家ではギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré, 1832-1883)、ジョルジュ・クレランが次々と愛人となった。(↑)上掲は、ギュスターヴ・ドレが描いた「うら若いサラ・ベルナール」の肖像画である。
彼女が大女優への道を歩み出すのは、普仏戦争後の1872年にユゴーの『リュイ・ブラス』(Ruy Blas)の公演での大成功以降で、ユゴーからは《黄金の声》(La voix d'or)と称賛された。これによってコメディ・フランセーズから呼び戻され、ラシーヌの『フェードル』(Phèdre)やユゴーの『エルナニ』(Hernani)でも成功を重ね、《女神》(La Divine)とか、《演劇の女帝》(Impératrice du théâtre)と冠せられるまでに至る。
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