パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2016年6月23日木曜日

散歩Q(2-2) クリシー広場 Place de Clichy(クリシー広場~ユーロプ界隈)

クリシー(Clichy)の地名は、パリのこの地域で広範囲にわたって使われている。その中心となるのがクリシー広場(Place de Clichy)である。そこから南の都心部へ下る道がクリシー通り(Rue de Clichy)、北の郊外へ伸びるクリシー並木通り(Avenue de Clichy)、そして徴税障壁の跡地を道路にしたクリシー大通り(Boulevard de Clichy)である。

クリシーは近世まではパリ郊外の村の名前だった。今のクリシー広場の辺りと思われるが、メロヴィング王朝のダゴベール王(Roi Dagobert)のお気に入りの居館があったという。17世紀には聖ヴァンサン・ド・ポール(St. Vincent de Paul)がクリシー教区の司教を務め、何回かの司教会議もここで開催された。大革命直前のルイ16世の時代にパリの周囲に徴税のための障壁が設けられ、市内に持ち込む商品へ関税がかけられるようになった。これが「バリエール」(Barrière バリア)で、クリシーにもパリ市の境界となる市門の一つがあった。

E.G.Grandjean - La place Clichy en 1896
Paris, musée Carnavalet
Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais / Agence Bulloz



























クリシー広場が歴史的に有名になったのは、ナポレオン時代の1814年3月30日、敗走するフランス軍を追い詰めて連合国軍がパリに攻め込んだが、この市門を守っていたモンセー元帥指揮する部隊が頑強に抗戦し、最後まで戦ったという史実である。
(↑)上掲は、「1896年のクリシー広場」の風景画だが、120年経った今でもその趣が残っている。モンセー元帥の記念像の足の形から判断すると、この絵はクリシー広場の南から北に向かって描かれたもので、正面奥の一角が当時「カフェ・ゲルボワ」や「ラトゥイユ親父の店」、そして「タヴェルヌ・ド・パリ」があったクリシー並木通りである。作者のグランジャン(Edmond-Georges Grandjean, 1844-1908)はこの他にもパリの19世紀末の風景を絵葉書のように描いて通俗的な人気があった。


☆クリシー広場14番地 (14, place de Clichy, 18e)
 ブラスリー「ウェプレー」 (Brasserie Wepler)
(c) Google Map Streetview
 14, place de Clichy, 18e

広場に面した一角にあるブラスリーの老舗「ウェプレー」(Wepler)の紅い日除けの帆布がこの広場のランドマークとなっている。1881年創業とあるので、すでに130年以上の伝統がある。上掲のグランジャンの絵の右端にも、当時は紅でなく薄緑色だがこの店の日除けが描かれている。

ブラスリー(Brasserie)は高級レストランに比べれば気軽に食事ができる店のスタイルで、一般的に広場や繁華街の一角に紅い日除けの帆布を張り、広い客席を抱えて、素早く、親しみやすいサービスをしてくれる。料理は伝統的・定番的なものがほとんどなのがブラスリーの宿命で、シェフの手の込んだ調理や創作味は期待しない方がいい。この店も冬場には、生牡蠣と海の幸の盛り合わせ(Plateau de fruits de mer)を出してくれる。


☆クリシー大通り140番地 (140, boulevard de Clichy, 18e)
 映画館《パテ=ウェプレー》(Pathé-Wepler)
(c) Google Map Streetview
 140, boulevard de Clichy, 18e




















ブラスリーの隣にある大きな映画館の建物で、《パテ=ウェプレー》(Pathé-Wepler)と呼ばれている。ここから住所表示がクリシー大通りに変わる。広場が大通りの延長なのだ。
第2次大戦後の1956年に1600席以上の大映画館として建てられた。まさに映画文化の最盛期の時代で、当時フランスの映画産業の頂点にあったパテ社の所有する巨大な上映館の代表格であった。今でも建物の壁面に《 PATHE 》と彫られた文字が残っているのが見える。1994年以降はシネマコンプレックス(multiplexe) として改装され、12の上映室(salle)で2000を超える客席を擁している。


☆クリシー大通り134番地 (134, boulevard de Clichy, 18e)
(c) Google Map Streetview
 134, boulevard de Clichy, 18e

その隣接する134番地の広壮なアパルトマンの建物は、ベルエポック時代の1904年から1906年にかけて建築家のルネ・ディジョルジュ(René Digeorge)によって建てられた。建物の両端にある出入口のバルコニーの曲線と花蔓模様の装飾に時代の気品が感じられる。









ここの壁面に奇妙な(→)
模様がつけられているが、いわゆる街角アートの一つらしい。
日本で1980年前後に大流行したコンピュータ・ゲームのキャラクター(例えばインベーダー)のイラストと同じものが用いられている。それがパリを中心とする欧州各都市に多数蔓延している「インベーダー・アート」(Invader Art)である。誰が何のために?がわからないが街角は間違いなく「侵略」されている。

*参考Link: Wikipedia : Invader (artiste)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Invader_(artiste) (仏語)

https://en.wikipedia.org/wiki/Invader_(artist) (英語)

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