(c) Google Map Streetview 16, place de Clichy, 18e |
☆クリシー広場16番地 (16, place de Clichy, 18e)
クリシー並木通りから広場に出る角の建物がクリシー広場16番地(18区)である。19世紀後半の異色の作家オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン(Auguste de Villiers de L'Isle-Adam, 1838-1889)が晩年に住んだ家とされるが碑銘はない。長いけれどもヴィリエ・ド・リラダンが苗字である。
彼は、ブルターニュ地方のマルタ騎士団に加わった由緒ある貴族の家系に生まれたが、1855年に父親の伯爵は領地と家屋敷を売り払って、家族を伴ってパリに出てきた。少年時代は詩作と音楽(ピアノ)に優れた才能を示したが、箔のある家柄ゆえに招かれてパリの社交界に出入りするうちに、小説と劇作、評論に深く関わるようになる。しかし父親は負債の返済を滞ってクリシー牢獄に収監されるほど、ヴィリエ伯爵家の生活は窮乏を極めた。
Les Hommes d'Aujourd'hui : Villiers de L'Isle-Adam Collignon et Tocqueville, caricaturiste Paris, bibliothèque du musée d'Orsay Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Michel Urtado |
1864年に26歳で彼は4歳下のマラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898)と知り合う。互いに尊敬し、想念を研ぎ澄まし合い、終生確かな友情を持ち続けた。
かたや文人のテオフィル・ゴーティエ(Théophile Gautier, 1811-1872)の娘と婚約しながらも、身分の不釣り合いを理由に解消した。
美しく気まぐれなニナ・ド・ヴィラールのサロンにも頻繁に出入りし、彼女が中心となったワーグナー崇拝の熱狂的な運動に加わった。
彼の代表的な作品は『残酷物語』(Contes cruels)、『未来のイヴ』(L'Ève future)などが挙げられる。世間一般の価値観への辛辣な皮肉と、精神世界への幻想的な称揚との奇妙に混じり合った味わいがある。同時代の人たちからはほとんど理解されず、尊大な自尊心を放棄することなく、貧困の中に生きた。「武士は食わねど高楊枝」の諺を連想する。
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