(c) Google Map Streetview 81, rue de Clichy, 9e |
ここには、1870年代後半からステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé,1842-1898)を中心に当時の若い詩人たちが集う場所となった。マラルメは早くから詩作を試み、これまでの主観的で感情表現が濃いロマン主義の詩に対し、客観的で感動を抑制した詩的表現を目ざした高踏派に共感し、24歳の時に『現代高踏詩集』(Le Parnasse contemporain, 1866) に自作が所収された。英語教師でもあった彼は地方勤務のあと、1871年からパリのコンドルセ高校(Lycée Condorcet)に転勤となり、パリで活発な文筆活動とともに多くの文人たちとの交流を深めた。当時の彼の住まいはここから数分のモスクゥ通りで、サン=ラザール駅近くの学校までは徒歩通勤だった。
Brasserie allemande Émile Goudeau & Pierre Vidal "Paris qui consomme" 1896 Wikimédia Commons |
彼の詩は言葉の精緻を極めたもので、長い時間をかけて推敲に推敲を重ねた凝縮された表現だと高く評価された。しかし、34歳の1876年に作った『半獣神の午後』(L'Après-midi d'un faune)が「第3次現代高踏詩集」に拒絶されたことにより、マラルメは、これまでの高踏派の潮流に対抗して新たな詩作りを目ざそうとする若い詩人たちとの交流を深めることとなった。この「オリエント」もそうした集いの場の一つで、詩人で雑誌編集者のギュスターヴ・カーン(Gustave Kahn, 1859-1936) やパリに出てきたばかりの青年作家のモーリス・バレス(Maurice Barrès, 1862-1923)などがいて、その後このグループは象徴派(Symboliste)と呼ばれるようになった。
(←)左掲は『消費するパリ』という画文集にある「ドイツ風ビヤホール」(ブラスリー・アルマンド)のイラストで、直接の関係はないが、マラルメたちが集まって話し込んだというカフェの雰囲気を連想させる。
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Albert Dubois-Pillet : Village près de Bonnières Wikimédia Commons |
この画家たちは、やがて新印象主義(Néo-Impressionnisme)と呼ばれるようになったが、その理論的背景には雑誌『独立評論』(La Revue indépentdante)の存在が大きかった。この雑誌の編集者としても上記のギュスターヴ・カーンが関わっていた。
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