《エクトル・ベルリオーズ公園》 (Square Hector Berlioz)
(c) Google Map Streetview rue de Bruxelles, 9e vers la place Adolphe Max |
アドルフ・マクス(Adolphe Max, 1869-1939) は、第一次世界大戦勃発時にベルギーの首都ブリュッセルの市長だった人で、当時中立国だったベルギーにドイツ軍が進攻してきたため徹底抗戦の立場を取り、首都の防衛に尽力した。降伏後もドイツ軍の軛の下での市政の執行を拒否し、大戦中はドイツで獄中生活を送った。その勇猛果敢な行動に対しパリは名誉市民(Citoyen d'honneur de Paris)の称号を与えた。ブリュッセル通りにつながるこの広場に彼の名前を冠するようになったのは第二次世界大戦中の1940年(パリ陥落直前)のことだったが、それまではヴァンティミル広場(Place Vintimille)と呼ばれており、戦後もしばらく旧名のほうが通用していた。
Edouard Vuillard, Place Vintimille, 1911 National Gallery of Art, Washington DC, USA |
ヴァンティミル(Vintimille) とは、南仏コート=ダジュールの海岸沿いのイタリア側にある国境の町ヴェンティミッリア(Ventimiglia)のフランス語読みであるが、そもそもはそこのヴァンティミル伯爵家がパリに持っていた敷地がこの地域であったのが由来とされている。通りの一つにも同じ名前がついているが、それは現在でも残っている。
左掲(←)はナビ派の画家エドゥアール・ヴュイヤール(Edouard Vuillard, 1868-1940)が44歳のときに描いた5連の装飾板画(Panneau décoratif)『ヴァンティミル広場』(Place Vintimille, 1911)である。日本の屏風絵のような感じがするが、当時は個人の邸宅のサロンや食堂の壁の羽目板画として流行していた。秋の日の穏やかな街角風景で、親しみやすく心が和む。ヴュイヤールはこの場所が気に入っていたようで、広場を見下すこの視点の家に後年59歳の頃に引っ越してくる。
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《ナビ派青年画家たちのアトリエ跡》(Ancien emplacement de l'atelier de jeunes Nabis)
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蛇足になるが、この広場は作家ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903-1989)の生んだ一連の《メグレ警視》(Commissaire Maigret)シリーズの中の一作『メグレと若い女の死』(Maigret et la jeune morte, 1954)の事件現場としても登場する。
窃盗団の男たちへの30時間近くかけた取り調べが午前3時に終わって、夜食でも取りに行こうとしたところに電話が入る。クリシー大通り裏手の小さな広場で若い女の死体が発見されたという。まだ家に寝に帰る気になれなかったメグレは部下のジャンヴィエと現場へ向かう。
「ブランシュ広場のすぐ近くにあるヴァンティミル広場は平穏な離れ小島のようだった。警察の車が一台停まっていた。ちっぽけな公園の柵の近くに5~6人が立っていて地面に横たわった明るい色の形体を取り囲んでいた。」(À deux pas de la place Blanche, la place Vintimille était comme un îlot paisible. Un car de la police stationnait. Près de la grille du square minuscule, quatre ou cinq hommes se tenaient debout autour d'une forme claire étendue sur le sol. (c)Georges Simenon - Maigret et la jeune morte, Chap.1er)
※参考Link : 「メグレ警視のパリ」No.72 「メグレと若い女の死」
http://www.geocities.jp/maigretparis/enquetes/maig72jeune.html