パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


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2015年12月11日金曜日

散歩R(11-9) ギュスターヴ・モロー美術館 Musée Gustave Moreau(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ラ・ロシュフコー通り14番地 (14, rue de La Rochefoucauld, 9e)
《ギュスターヴ・モロー美術館》Musée Gustave Moreau
PA00088994  © Monuments historiques, 1992




(c)Photo Emoulu bc25, 2013
14番地の建物はギュスターヴ・モロー美術館である。19世紀後半に活躍したギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)は、独自の絵画世界を創り上げ、その幻想味あふれる作品は多くの人々を魅了した。比類のない想像力、構成力、描写力を持つ孤高の画家とも言える。

4階建ての個人住宅だが、政府機関の建築家だった彼の父親の好みに合った折衷的な装飾に特徴がある。3階の三角破風の窓の周囲は、珍しく赤煉瓦に取り囲まれている。両親がこの家を購入したのは1853年、モローが27歳の時で、すでに前年にサロンに初入選しており、父親はモローが画家としての道を歩むことを支援するために広いアトリエも確保できるこの家で一緒に暮らすことにしたのである。



(c) Photo Emoulu  bc26f, 2013






モローはドラクロワに画家としての進路を相談したり、シャセリオに師事したりしたが、2人ともこのサン=ジョルジュ地区、別名《新アテネ地区》(ヌーヴェル・アテーヌ Nouvelle Athène)に住んでいた。

G.Moreau : Triomphe d'Alexandre le Grand
Musée Gustave Moreau, Paris
Crédit : Photo (C) RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda

モローの描いた作品のほとんどは、神話や聖書および古代史の伝承を題材としたもので、均整の取れた男女の姿態の抑制された美しさに目を惹かれる。さらにその背景や群像の微細な箇所に至るまで装飾を施し、あるいは空間を埋め尽くす壮大な構築物の存在感は見る者を飽きさせない。

(→)右掲は『アレクサンドロス大王の凱旋』(Triomphe d'Alexandre le Grand)と題する大作で、美術館の3階に螺旋階段を上がったところに飾られていたと記憶する。インドまで大遠征をして王たちを屈服させたアレクサンドロス大王が須弥壇のような玉座に収まっている。このようにモローの作品には、東洋の佛教画あるいは曼荼羅に通じる宗教性、神秘性を感じることができる。

Portrait
Paris, Musée Gustave Moreau
Crédit : Photo (C) RMN-Grand Palais
 / René-Gabriel Ojéda



身体が弱かったモローは、それでも若い頃は社交界に出入りしたり、近隣のカフェで若い画家たちと議論に加わることがあった。しかし次第に自宅に閉じこもるようになり、ごく少数の親しい友人、知人たちとの交友のみで、絵画の制作と読書と思索に多くの時間を傾けた。

彼は妻帯することはなかったが、長年密かに情を通わせたアレクサンドリヌ・デュルー(Alexandrine Dureux)という女性の存在が明らかとなった。(←)左掲は『肖像画』(Portrait)という単純な画題で「誰の」という表記が省かれたものだが、モローとしては非常に珍しい人物画である。風景画家のコローにも『真珠の髪飾りの女』という珍しい肖像画の名作があるが、それに匹敵する隠れた名作であると思う。このモデルは秘められた愛人のアレクサンドリヌではないかと思ってみたりしている。








2015年10月5日月曜日

散歩R(2-1) 画家シャセリオの家 Ancienne demeure de peintre Chassériau(9区サン=ジョルジュ地区)


(c) Google Map Streetview
 2, rue Flécier, 9e
教会に向かって右隣の細い通りがフレシエ通りである。フレシエ(Valentin Esprit Fléchier, 1632-1710)は、17世紀、ルイ14世の時代の文筆家、説教家であり、王太子の読書係でもあった。パリで20年間にわたって説教者としての評判も高かった。晩年は南仏ニームの司教に任命された。


☆フレシエ通り2番地 (2, rue Fléchier, 9e)
 《画家シャセリオの家》Ancienne demeure de peintre Chassériau

 角の2番地の家はロマン派の画家シャセリオーが家族と共に住んだ所とされる。テオドール・シャセリオ(Théodore Chassériau, 1819-1856) は、カリブ海のサン=ドマング島(現在のドミニカ共和国)の生まれで、母親は入植者の娘であった。父親がフランスの植民地の行政官として中南米各地を転々とする中、3歳の時に家族と共にパリに移り住んだ。

 幼少の頃から卓越した画才を表し、11歳で古典派の大家アングルの弟子となった。師のアングルの技法では、女性の美を彫刻的な、人形のような無表情さで描くことが多いが、シャセリオは次第にドラクロワに代表されるロマン派的な表現、つまり人間の感情を露わにした顔の表情や身体の動きを描き出す手法に共鳴するようになった。

Photo (C) RMN-Grand Palais (musée du Louvre)
 / René-Gabriel Ojéda
(←)掲載の絵は彼の代表作の一つ『エステルの化粧』(La toilette d'Esther, 1841) で、弱冠22歳のときの作品である。女性の両腕を頭の上に伸ばしているポーズは、「ブラ・ルヴェ」(bras levé) と称される女性の美しさを描く構図の一つであるが、見事な完成度である。
 
 彼はこのあと異国趣味(exotisme)を求める時代の風潮に合わせて、アルジェリアを旅行したりして、ロマン派的な自由な感情表現の作品を残している。しかしながら37歳の若さで夭折した。