パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


2015年12月3日木曜日

散歩R(11-5) ラ・ロシュフコー通り(続) Rue de La Rochefoucauld, 9e (suite)(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ラ・ロシュフコー通り32番地 (32, rue de La Rochefoucauld, 9e)



ラ・ブリュイエール通りとの四つ角の反対側にある一般住居の門構えの装飾が個性的である。32番地銘板の装飾はシダの葉を対に広げたものだが、見方によっては大きな魚の骨のようにも見える。門柱の上部はアフリカの部族の呪術的な仮面を思わせる。

(c)Photo Emoulu bc24, 2013


☆ラ・ロシュフコー通り24番地 (24, rue de La Rochefoucauld, 9e)


24番地の門飾も花飾りの中央に、教会の魔除けのガーゴイル(Gargouille)を小さくしたような怪獣が見えて面白い。

(c)Photo Emoulu bc27f, 2013


かたつむりの道すじ:⑪ラ・ロシュフコー通り~⑫ラ・トゥール・デ・ダム通り~
⑬サン=ラザール通り~⑭テブー通り~⑮ドーマル通り (c) Google Map





2015年12月1日火曜日

散歩R (11-4) 画家ルノワールの住居 Ancienne demeure d'Auguste Renoir(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ラ・ロシュフコー通り33番地 (33, rue de La Rochefoucauld, 9e)
(c) Google Map Streetview,
33, rue de La Rochefoucauld, 9e
26, rue La Bruyère, 9e
☆ラ・ブリュイエール通り26番地 (26, rue La Bruyère, 9e)  《画家ルノワールの住居》Ancienne demeure d'Auguste Renoir

ラ・ブリュイエール通りとの角にある住居だが、入口はラ・ロシュフコー通り側にある。ラ・ブリュイエール通り側の壁に銘板が掛かっており、「画家オーギュスト・ルノワールは1897年から1903年までこの家に住んでいた。」とある。

ルノワール(Auguste Renoir, 1841-1919)は、最晩年の16年間を南仏カーニュで過ごし、78歳で世を去るが、この時期はその直前の56歳から62歳までの時期にあたる。

ルノワールは1880年代に経済的な困窮とともに、自分の絵の描き方に自信が持てなくなった時期があったが、1890年代に入ってデュラン=リュエル画廊での個展での成功とともに次第に経済的にも安定し、円熟期のルノワールらしい素晴らしい作品を次々と生み出すようになった。
Renoir : Gabrielle et Jean (1895?)
Paris, Musée de l'Orangerie
Wikimedia Commons


1890年には絵のモデルで内縁関係にあった18歳年下のアリーヌ・シャリゴ(Aline Charigot, 1859-1915)と正式に結婚し、1894年には二番目の息子ジャンが生まれた。ルノワールはこの時55歳だった。子守役として妻の遠縁の従妹ガブリエル・ルナール(Gabrielle Renard)がやってきたが、早速ルノワールの絵のモデルとしてもこの時期以降盛んに用いられた。
(←)左掲は「ガブリエルとジャン」と題されたこの時期の名品の一つで、まるで母子像のように微笑ましい絵である。しかしガブリエルは実際まだ16~17歳の少女であった。
さらに1901年には三番目の息子クロードが生まれる。この時ルノワールは60歳である。先輩たちのエドゥアール・マネが51歳で、クールベが58歳で死去したのに比べれば、活力が相当旺盛だったとしか思えない。それが最晩年となっても女性の肉体美を追及し、多くの浴女像を含む裸体画を描き続けたルノワールの芸術の原動力だったのだと思えてくる。


◇パリ蝸牛散歩内の関連記事:
9区サン=ジョルジュ地区(16-3) ルノワールのアトリエ
Emplacement de l'atelier d'Auguste Renoir
http://promescargot.blogspot.jp/2016/01/16-3.html

2015年11月29日日曜日

散歩R(11-3) メグレ警視最初の事件の警察署跡 Emplacement du commissariat dans le première enquête du commissaire Maigret(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ラ・ロシュフコー通り37番地 (37, rue de La Rochefoucauld, 9e)


(c) Google Map Streetview,
37, rue de La Rochefoucauld, 9e
《メグレ警視最初の事件の警察署跡》(Emplacement du commissariat dans le première enquête du commissaire Maigret)

ロシュギュド著『パリ全街路散歩』(1910年刊)によると、この37番地にも「古い館があって警察署が入っていた」(Vieille maison occupée par le commissariat de police)とある。現在では何の変哲もない新しいビルに建て替わっているし、警察署は9区の区役所のそばに移っている。(MRP)



Georges Simenon :
La première enquête de Maigret
Livre de Poche #14232 Jan.2001







ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903-1989)が生み出した不朽の「メグレ警視シリーズ」(Commissaire Maigret)は長短編合わせて100を超える。この警察署が出てくるのは、メグレの初手柄となる事件で、年代的には1913年4月。まだベルエポックの時代で、夜の街路はガス灯のほのかな明かりで照らされ、辻馬車が行き交っていた。
ここの分署の署長秘書として勤務していた若いメグレがこの日の当直であった時に事件が起きる。

「午前1時半、静まりかえったラ・ロシュフコー通りにあるサン=ジョルジュ地区分署には、メグレとルクール巡査だけしかいなかった。」(Maigret et l'agent Lecœur étaient seuls, à une heure et demie du matin, au commissariat de police du quartier Saint-Georges, dans la calme rue La-Rochefoucauld. (c)Georges Simenon : La première enquête de Maigret ; Chap.1)

参考Link : 《メグレ警視のパリ》 No.56 [メグレの初捜査」



2015年11月27日金曜日

散歩R(11-2) ルピック伯爵の家 Ancienne demeure du comte Lepic(9区サン=ジョルジュ地区)

(c) Google Streetview,
46 rue de La Rochefoucauld, 9e
☆ラ・ロシュフコー通り46番地 (46, rue de La Rochefoucauld, 9e) 《ルピック伯爵の家》Ancienne demeure du comte Lepic

1874年の第1回目の印象派展の発起人として名前を連ねながらも、作品の展示がなかった人が何人かいた。印象派の画家エドガー・ドガ(Edgar Degas, 1834-1917)の親しい友人ルピック伯爵(Ludovic-Napoléon Lepic, le comte, 1839-1889)もその一人である。彼の祖父も父親も軍人で、特に祖父のルイ・ルピックは大革命とナポレオン時代に軍の主要な将軍の一人として勇名を馳せ、モンマルトルの通りにもその名前が残されている。
そのために三代目の彼にはリュドヴィック・ナポレオンという大仰な名前がつけられたようだが、彼は専ら美術と考古学に興味を持ち、絵画はカバネルなど何人かに師事して学んだ。他には動物版画やエッチングに才能を示し、「オー・フォルト・モビル」(可動性エッチング、Eau-forte mobile)という新しい技法を考え出した。
彼はこの家のほかに9区のモーブージュ通りにもう一軒持っていたが、そちらは現代建築に建て替えられている。




E.Degas : Place de la concorde (1875)
Musée Hermitage, St Petersbourg; Wikimedia Commons
ドガとは家族同士の付き合いから親しくなり、特にオペラやバレエの観劇、競馬場通いなどブルジョアの娯楽に共通の趣味を持っていたので、ドガが印象派の活動に誘ったようだ。しかしルピックの絵は古風なアカデミックな手法で、印象派の画家たちの思惑からはほど遠く、議論の末に第1回目の展示から除外させることが決められた。(LAI)
 しかし2年後の第2回目の印象派展には他の参加者よりも最多の36点が展示された。ルピックの心情を汲んだドガのとりなしと、参加者の減少で基準が甘くなったからかも知れない。
(↓)下掲はルピックの当時の絵の一つで南仏の海辺の風車を描いたものだが、平凡で陳腐な作品としか思えない。



Lepic : Moulins à vent à Cayeux-sur-Mer (1873)
Marseille, MuCEM, Musée des Civilisations de
l'Europe et de la Méditerranée
Crédit : Photo (C) MuCEM, Dist. RMN-Grand Palais
/ image MuCEM
(↑)上掲のドガの絵の斬新さと比べても、その表現力の格差は明白である。ルピック伯爵とその二人の娘の姿はこの「コンコルド広場」と題された絵の中に生き生きと描かれている。







2015年11月25日水曜日

散歩R(11-1) ラ・ロシュフコー通り Rue de La Rochefoucauld, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)

ラ・ロシュフコーという名前を聞いただけで、すぐに「あの箴言家のことだ」と口にする人は相当なフランス文学通であるが、残念ながらここの通りの名前は別人に由来する。それは18世紀半ばにモンマルトルの尼僧院長だったカトリーヌ・ド・ラ・ロシュフコー=クサージュ(Catherine de La Rochefoucauld-Cousage) であるが、この地域一帯がその尼僧院の所領であったためとされている。(DNR, CVP, MRP)

(c) Google Map Streetview,
45, rue de La Rochefoucauld, 9e
それよりも更に百年前に生きた有名なモラリストのフランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(François de La Rochefoucauld, 1613-1680) のための名前の通りがあっても良さそうに思うが、少なくともパリには存在しない。彼の箴言を参照するために「フランス箴言集」のサイトを紹介する。




☆ラ・ロシュフコー通り45番地 (45, rue de La Rochefoucauld, 9e)

通りを下って右手3軒目にいかにも古色蒼然とした建物がある。壁は黒ずんで今にも崩れそうな状態だが、正面扉だけは唐草模様の装飾の美しさを保っている。おそらく150年以上は経過している古い館である。






2015年11月23日月曜日

散歩R(10-9) カフェ・ル・ラロシュとパヴァール Café ''Le Laroche'' et ''Pavard'', r.v. des artistes (9区サン=ジョルジュ地区)

☆ノートルダム・ド・ロレット通り60番地 (60, rue Notre-Dame de Lorette, 9e)
 《レストラン・パヴァール跡》




(c) Google Map Streetview
 60, rue Notre-Dame de Lorette, 9e
ここに昔、ステーキ・レストラン「パヴァール」(Rôtisserie Pavard) があったという。旧ブレダ通りの「ディノショー」と同じように芸術家たちの溜まり場だった。違いは「ツケ払い」がなかったのと、「ディノショー」が文人たちが多数だったのに比べ、「パヴァール」は画家が多かったことである。また「ディノショー」が2階にしか客席がなく狭苦しかったのに対し、「パヴァール」では1階に数室に分かれて客席があって広かった。
ボードレールは親友のマネと連れ立って頻繁にここに食事しにやって来て、その後は通りの向い側にあったカフェ「ル・ラロシュ」(Café Le Laroche)で議論や雑談に興じた。

「パヴァール」の客としては、他に小説家のミュルジェ、バルベー・ドールヴィイ、画家のピュヴィ・ド・シャヴァンヌなどがいた。(PRR)



☆ノートルダム・ド・ロレット通り57番地 (57, rue Notre-Dame de Lorette, 9e)
☆ラ・ロシュフコー通り49番地 (49, rue La Rochefoucauld, 9e)
 《カフェ・ル・ラロシュ跡》

通りを少し上がると、青果店、パン屋、中華総菜屋、カフェ、文具店、酒屋などの商店が立ち並ぶ生活感あふれる一角がある。ここは道路が複雑に交差する場所で、言い方によっては珍しい七又路になっている。

(c) Google Map Streetview
 57, rue Notre-Dame de Lorette, 9e
vers la rue de La Rochefoucauld

57番地の角には現在(2015)「カフェ・マティス」(Café Matisse)という名前の小さなブラスリーがある。店内にアンリ・マティスの複製画が飾られているだけで、マティスに所縁があるわけではない。約150年前にはこの店の場所に「ル・ラロシュ」(Café Le Laroche)というカフェがあった。そもそもの店名は「ル・カフェ・ド・ラ・ロシュフコー」(Le Café de La Rochefoucauld)なのだが、長すぎるので短縮した通称「ラロシュ」(Laroche)が定着したようだ。

ここも画家たちを中心にした溜まり場だったが、意外なことに、印象派とそれに近い画家たち、つまりマネ、ドガ、ルノワールなどが、旧来のアカデミーに近い画家たち、つまりコルモン(F.Cormon)、エネ(J.J.Henner)、アルピニー(H.Harpignies)、ギュスターヴ・モロー(G.Moreau)、ジェローム(J.L.Gérôme)らと混じり合って、雑談したり、肩を並べてゲームに興じたりしたという。(LAI, PRR)

散歩者は、ここから左折してラ・ロシュフコー通りを下って行く。


参考Link : Autour de Père Tanguy : Le restaurant Pavard de la rue Notre-Dame-de Lorette (仏文)



かたつむりの道すじ : (9)アンリ・モニエ通り~(10)ノートルダム・ド・ロレット通り~
(11)ラ・ロシュフコー通り (c) Google Map

2015年11月21日土曜日

散歩R(10-8) 画家ドラクロワのアトリエ跡 Emplacement de l'atelier de Delacroix(9区サン=ジョルジュ地区)



☆ノートルダム・ド・ロレット通り58番地 (58, rue Notre-Dame de Lorette, 9e)
(c) Google Map Streetview
 58, rue Notre-Dame de Lorette, 9e
《画家ドラクロワのアトリエ跡》(Emplacement de l'atelier de Delacroix)

現在の58番地の建物ではないように思われるが、この場所に1844年10月から1857年12月までの13年余り、ロマン主義絵画を代表する画家ドラクロワ(Eugène Delacroix, 1798-1863)が暮らしたアトリエがあった。下掲(↓)の版画は1850年頃の絵入り新聞に掲載された当時のアトリエの様子を描いたもので、
Atelier d'Eugène Delacroix - Edmond Texier :
Tableau de Paris, Chap.43, 1852-53 @ BnF-Gallica














46歳から59歳の壮年期を迎え、すでに巨匠としての名声を確立しており、リュクサンブール宮やブルボン宮(国民議会)など公的機関の建物の装飾画の注文が次々と続き、非常に多忙かつ充実した時を送った。下掲(↓)はその時期に制作されたリュクサンブール宮の上院議会図書館の天井画「ダンテをホメロスに紹介するヴェルギリウス」である。
Delacroix Eugène :Virgile présentant Dante à Homère
Détail de la coupole de la Bibliothèque du Sénat;
Paris, Sénat - Palais du Luxembourg
Photo (C) RMN-Grand Palais / Agence Bulloz

ドラクロワは58歳の1856年に大病を患い、依頼を受けていたサン=シュルピス教会の絵を完成させるために同じ左岸のサン=ジェルマン・デプレにあるフュルスタンベール広場の家に転居し、最晩年の6年を過ごすことになる。(PRR, CVP, LAI)