パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


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2016年11月6日日曜日

散歩Q(5-1) アドルフ・マクス広場(旧ヴァンティミル広場)Place Adolphe-Max (Ancien Place Vintimille)(クリシー広場~ユーロプ界隈)

☆アドルフ・マクス広場 (Place Adolphe Max, 9e)
《エクトル・ベルリオーズ公園》 (Square Hector Berlioz)

(c) Google Map Streetview
 rue de Bruxelles, 9e
vers la place Adolphe Max
ブリュッセル通りの先を行くと小さな広場に出る。アドルフ・マクス広場である。すぐ近くのクリシー大通りの喧騒から外れた閑静な広場で、中央部は幼児のための遊具が備わった小さな公園になっている。

アドルフ・マクス(Adolphe Max, 1869-1939) は、第一次世界大戦勃発時にベルギーの首都ブリュッセルの市長だった人で、当時中立国だったベルギーにドイツ軍が進攻してきたため徹底抗戦の立場を取り、首都の防衛に尽力した。降伏後もドイツ軍の軛の下での市政の執行を拒否し、大戦中はドイツで獄中生活を送った。その勇猛果敢な行動に対しパリは名誉市民(Citoyen d'honneur de Paris)の称号を与えた。ブリュッセル通りにつながるこの広場に彼の名前を冠するようになったのは第二次世界大戦中の1940年(パリ陥落直前)のことだったが、それまではヴァンティミル広場(Place Vintimille)と呼ばれており、戦後もしばらく旧名のほうが通用していた。

Edouard Vuillard, Place Vintimille, 1911
 National Gallery of Art, Washington DC, USA

ヴァンティミル(Vintimille) とは、南仏コート=ダジュールの海岸沿いのイタリア側にある国境の町ヴェンティミッリア(Ventimiglia)のフランス語読みであるが、そもそもはそこのヴァンティミル伯爵家がパリに持っていた敷地がこの地域であったのが由来とされている。通りの一つにも同じ名前がついているが、それは現在でも残っている。


左掲(←)はナビ派の画家エドゥアール・ヴュイヤール(Edouard Vuillard, 1868-1940)が44歳のときに描いた5連の装飾板画(Panneau décoratif)『ヴァンティミル広場』(Place Vintimille, 1911)である。日本の屏風絵のような感じがするが、当時は個人の邸宅のサロンや食堂の壁の羽目板画として流行していた。秋の日の穏やかな街角風景で、親しみやすく心が和む。ヴュイヤールはこの場所が気に入っていたようで、広場を見下すこの視点の家に後年59歳の頃に引っ越してくる。

◇パリ蝸牛散歩内の関連記事:
☆ジャン=バティスト・ピガール通り28番地 (28, rue Jean-Baptiste-Pigalle, 9e)
《ナビ派青年画家たちのアトリエ跡》(Ancien emplacement de l'atelier de jeunes Nabis)
http://promescargot.blogspot.jp/2016/03/21-3-ancien-emplacement-de-latelier-de.html


蛇足になるが、この広場は作家ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903-1989)の生んだ一連の《メグレ警視》(Commissaire Maigret)シリーズの中の一作『メグレと若い女の死』(Maigret et la jeune morte, 1954)の事件現場としても登場する。

窃盗団の男たちへの30時間近くかけた取り調べが午前3時に終わって、夜食でも取りに行こうとしたところに電話が入る。クリシー大通り裏手の小さな広場で若い女の死体が発見されたという。まだ家に寝に帰る気になれなかったメグレは部下のジャンヴィエと現場へ向かう。

「ブランシュ広場のすぐ近くにあるヴァンティミル広場は平穏な離れ小島のようだった。警察の車が一台停まっていた。ちっぽけな公園の柵の近くに5~6人が立っていて地面に横たわった明るい色の形体を取り囲んでいた。」(À deux pas de la place Blanche, la place Vintimille était comme un îlot paisible. Un car de la police stationnait. Près de la grille du square minuscule, quatre ou cinq hommes se tenaient debout autour d'une forme claire étendue sur le sol. (c)Georges Simenon - Maigret et la jeune morte, Chap.1er)

※参考Link : 「メグレ警視のパリ」No.72 「メグレと若い女の死」
http://www.geocities.jp/maigretparis/enquetes/maig72jeune.html


2016年2月27日土曜日

散歩R(20-6) シャプタル通り Rue Chaptal, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)

シャプタル通りは、フランス革命期からナポレオン時代に活躍した化学者ジャン=アントワーヌ・シャプタル(Jean-Antoine Chaptal, 1756-1832) にちなんでいる。1781年に化学薬品工場を開設し、産業界に塩酸や硫酸の製造過程の改善をもたらした。ただし外国から大金を積まれてもその製法の提供を拒んだ。革命期の1793年にはパリのグルネルにあった軍の弾薬工場の責任者となった。その後、内務大臣を経て、商工会議所の創設や公営質屋の改編、あるいはフランス国内の運河網の整備など政治家としての手腕も評価された。ワインの製造過程での「補糖」(砂糖を加える)という工程を考案してワインの賞味向上に貢献した。この工程は彼の名前を取って今でも「シャプタリザシォン」(chaptalisation)と呼ばれている。(DNR)


(c) Google Map Streetview
 15, rue Chaptal, 9e
☆シャプタル通り15番地 (15, rue Chaptal, 9e)
《メグレ警視若年期の張込み場所》

15番地はエネ通りとシャプタル通りが交わるT字路の東角になっている。そこに「ラネクス」(L'Annexe)という名前のやや古びたレストラン・バーがある。住宅街には珍しくぽつんと立っている店である。この店はジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903-1989)が書いた《メグレ警視シリーズ》の中の一作『メグレの初捜査』(La première enquête de Maigret)で、まだ駆出しのメグレが朝から夕方まで店の中から張込みをした場所として描かれている。

事件が起きたのは通りの角の反対側の館、つまり17番地(小説では17番地B)に住む富豪の一族で謎の失踪が起きたらしいということで、この店の窓際のテーブルに座り、屋敷の住人の動向を見張るという設定である。
シムノンは事件の現場となる街角を作品ごとに実地に細かく取材したようで、実在の家や店舗をその事件と結びつけて描くことを必ず行っていた。この店の名前は小説中では《古きカルヴァドス》(Vieux Calvados)となっている。


(c) Google Map Indoorview
 15, rue Chaptal, 9e
(→)右掲の店内の窓からはエネ通り側の館の中庭の鉄柵を見ることができる。

「《張込み》をするにも、人通りや店舗やカフェのお蔭で簡単な通りは多いが、シャプタル通りはそうではなかった。短くて幅広く、商店がなく、人や車もまるで通らなかった。」
(Il existe des rues où il est facile de se "planquer" grâce au mouvement, aux boutiques, aux cafés, mais la rue Chaptal n'est pas de celles-là, courte et large, sans commerce et, pour ainsi dire, sans passage. (c)Georges Simenon : La première enquête de Maigret ; Chap.3)




「幸いにも《古きカルヴァドス》が開いたところだった。エネ通りとの角にあって、この通りで身をひそめるには唯一の場所だった。」
(Heureusement que le Vieux Calvados venait d'ouvrir. C'était le seul endroit de la rue où trouver refuge, au coin de la rue Henner, ... (c)Georges Simenon : La première enquête de Maigret ; Chap.3)









☆シャプタル通り7番地 (7, rue Chaptal, 9e)

門飾りの花の浮彫がモダンな感じで目を引く。建築家アンリ・プチ(Henri Petit, 1856-1926)という銘が壁に刻まれている。この人は19世紀末以降、北アフリカのアルジェに渡って現地で長く活躍したので、この家はその直前の若い頃の設計と思われる。
(c)Photo Emoulu bc20a, 2013



























☆シャプタル通り3番地 (3, rue Chaptal, 9e)

(c)Photo Emoulu bc21, 2013

狭いながらも装飾的なベランダの手すりが特徴で、この通りの中でも丁寧な造りの建物である。














(c)Photo Emoulu bc21a, 2013











2016年1月17日日曜日

散歩R(17-1) サン=ジョルジュ広場 Place Saint-Georges, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)

ようやくサン=ジョルジュ地区の中心、「へそ」にあたるサン=ジョルジュ広場にたどり着いた。地図の上では読点のような小さな円形広場であるが、中央の挿絵画家ガヴァルニ(Gavarni, 1804-1866)の記念碑の周囲を品格のある建物群が取り巻いている。

1824年以降、ドーヌ(Dosne)という投資家がこの一帯を住宅地として売り出した。特に「新アテネ地区」(ヌーヴェル・アテーヌ Nouvelle Athène)という呼称で、文人たち、芸術家たち、俳優たち、他の有名人たちがこぞって移り住んだため、人々に選り好みされた地区となった。(CVP)

(c)Photo Emoulu bc08f, 2013
作家のジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903-1989)は、100を超える人気シリーズ《メグレ警視》の作品群の中で、パリの至る所を取り上げているが、その簡潔で適切な描写はその場所を実地に踏査した上で書かれたことが良くわかる。サン=ジョルジュ広場も『メグレの初捜査』に出てくる。

[ 彼らはサン=ジョルジュ広場に出た。閑静で田舎じみていて、その一角の小さなビストロは白ワインの香りがした。メグレはごく自然に扉を押した。(・・・)錫張りのカウンターは気持ちよく磨かれており、ヴーヴレー産のワインはグラスの中で緑がかった光沢を見せ、渇きを誘った。](第2章より)
Ils avaient atteint la place Saint-Georges, calme, provinciale, avec son petit bistrot qui sentait le vin blanc. Maigret, tout naturellement, en poussait la porte. (...) L'étain du comptoir était fraîchement astiqué, le vin de Vouvray, dans les verres, avait des refrets verdâtres qui donnaient soif.
(c)Georges Simenon : La première enquête de Maigret ; Chap.2)

◇パリ蝸牛散歩内の関連記事:
9区サン=ジョルジュ地区 (11-3) メグレ警視最初の事件の警察署跡
http://promescargot.blogspot.jp/2015/11/11-3.html



(c)Photo Emoulu bc03, 2013
広場の中央にあるのが19世紀中頃に非常に人気のあった風刺画家ガヴァルニ(Gavarni, 1804-1866)の記念碑である。彼は「シャリヴァリ」(Charivari)や「イリュストラシォン」(Illustration)などの絵入り新聞の全盛期に、同世代のドーミエ(Honoré Daumier, 1808-1879)やグランヴィル(Grandville, 1803-1847)らと共にパリの街頭、家庭寸景、民衆生活など、社会の各階級の人々の生態のデッサンや版画を少々ひねった注釈をつけて提供した。特に最下層の人々の生活の悲惨さについては同情の眼差しで描いている。


Gavarni : Les Lorettes /41. Qu'est ce que tu lis là?
(IFF 234) Paris, Musée Carnavalet
Crédit Photo (C) RMN-Grand Palais / Agence Bulloz












この広場はノートルダム・ド・ロレット教会の裏手から始まるノートルダム・ド・ロレット通りの中間地点となっている。この「ロレット」(Lorette)という地名が、19世紀中頃にこの地域に住みついた美しい女性たち、つまり高級娼婦という単純な言い方では美貌に加えて知性と教養にあふれる彼女たちを言い表し難いことから、「ラ・ロレット」(La Lorette)という呼称として用いられるようになったのである。彼女たちの相手は当時隆盛してきたブルジョワ階級の実業家、資産家が多数を占めた。バルザックも『浮かれ女盛衰記』などの作品で描いている。

ガヴァルニはこの地域に住んでいたこともあり、彼女たちの日常の様相を数多く描いている。
(↑)上掲は、連作版画集「ロレットたち」(Les Lorettes)の一つである。説明文には:「そこで何読んでるの?」、「女たちの取り得よ。」、「あんた病気じゃない?」



かたつむりの道すじ:⑮ドーマル通り~⑯サン=ジョルジュ通り~
⑰サン=ジョルジュ広場~⑱ラ・ブリュィエール通り (c) Google Map


2015年11月29日日曜日

散歩R(11-3) メグレ警視最初の事件の警察署跡 Emplacement du commissariat dans le première enquête du commissaire Maigret(9区サン=ジョルジュ地区)

☆ラ・ロシュフコー通り37番地 (37, rue de La Rochefoucauld, 9e)


(c) Google Map Streetview,
37, rue de La Rochefoucauld, 9e
《メグレ警視最初の事件の警察署跡》(Emplacement du commissariat dans le première enquête du commissaire Maigret)

ロシュギュド著『パリ全街路散歩』(1910年刊)によると、この37番地にも「古い館があって警察署が入っていた」(Vieille maison occupée par le commissariat de police)とある。現在では何の変哲もない新しいビルに建て替わっているし、警察署は9区の区役所のそばに移っている。(MRP)



Georges Simenon :
La première enquête de Maigret
Livre de Poche #14232 Jan.2001







ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903-1989)が生み出した不朽の「メグレ警視シリーズ」(Commissaire Maigret)は長短編合わせて100を超える。この警察署が出てくるのは、メグレの初手柄となる事件で、年代的には1913年4月。まだベルエポックの時代で、夜の街路はガス灯のほのかな明かりで照らされ、辻馬車が行き交っていた。
ここの分署の署長秘書として勤務していた若いメグレがこの日の当直であった時に事件が起きる。

「午前1時半、静まりかえったラ・ロシュフコー通りにあるサン=ジョルジュ地区分署には、メグレとルクール巡査だけしかいなかった。」(Maigret et l'agent Lecœur étaient seuls, à une heure et demie du matin, au commissariat de police du quartier Saint-Georges, dans la calme rue La-Rochefoucauld. (c)Georges Simenon : La première enquête de Maigret ; Chap.1)

参考Link : 《メグレ警視のパリ》 No.56 [メグレの初捜査」