《 ラトゥイユ親父の店跡 》 (Ancien emplacement du Restaurant, Chez le père Lathuille)
(c) Google Map Streetview 7, avenue de Clichy, 17e |
「カフェ・ゲルボワ」の一つ手前の7番地には、「ラトゥイユ親父の店」(Chez le père Lathuille) があった。現在では7番地と9番地が一緒になって衣料品店が入った大きな建物になっている。その向かって左半分のところにもボートの櫂のような「パリの歴史案内板」が立っている。
エドゥアール・マネ(Edouard Manet, 1832-1883) はこのレストランを題名とした絵を描いたのは1879年、47歳の時で、51歳で病死する4年前のことである。(晩年の作と言うには早過ぎる。)彼らが隣の「カフェ・ゲルボワ」に頻繁に出入りしたのはこれの10年以上前の1860年代のことだったが、その後若い印象派の画家たちはピガール広場の方に会合の場所を変えて行った。1870年に勃発した普仏戦争とその敗戦による第2帝政の終焉、パリ・コミューンの混乱、第3共和政の発足などが、一つの時代の分岐点となったのである。
E. Manet - Chez le père Lathuille (1879) Musée des Beaux-Arts, Tournai Wikimédia commons |
マネは同時代の人々の生活情景を明るい色調の中で、軽い筆致で表現することに成功したのである。
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