パリの街角散歩です。カタツムリのようにゆっくりと迂回しながら、そして時間と空間をさまよいながら歩き回ります。


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2016年4月13日水曜日

散歩R(29-1) サラ・ベルナールの若年期の住居 Ancienne demeure de jeune Sarah Bernhardt(9区サン=ジョルジュ地区)

クリシー通りを離れる前に、アテーヌ通りに立ち寄ることとする。アテーヌ(Athènes)はアテネのフランス語読みである。ユゴーの老年期の家の角からアテーヌ通りの横丁に入る。

☆アテーヌ通り1番地の2 (1bis, rue d'Athènes, 9e)
《サラ・ベルナールの若年期の住居》(Demeure de jeune Sarah Bernhardt)
PA00088920 © Monuments historiques, 1992

1番地の2は細長い高さの建物で、現在は1階部分が駐車用ガレージになっていてあまり見栄えがしない。2階から上は唐草模様と仮面像の細かな装飾が見える。この建物は19世紀後半期のものと思われる。歴史的建造物に指定された理由は、一時流行した新ルネサンス様式の建物であることと、大女優のサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)がまだ若い女優だった頃に住んでいた場所だったからかも知れない。

Paris 9ème arrondissement - Immeuble 1bis rue d'Athènes
Own work MOSSOT
Creative Commons Attribution 3.0 Unported license.



























Gustave Doré : Portrait de Sarah Bernhardt jeune
Paris, Bibliothèque nationale de France (BnF)
Photo (C) RMN-Grand Palais / Agence Bulloz










サラ・ベルナールは1862年17歳でパリ演劇院(コンセルヴァトワール)を卒業し、コメディ・フランセーズに入ったが、4年後に団員と喧嘩をして退団させられ、オデオン座に移った。1869年『通りすがり』(Le Passant)で初めて大成功を収めて注目された。
この家に住んでいたのはこの駆け出しの時代ではないかと思われる。当時の文化庁の記録簿に女優のロジーヌ・ベルナール(Rosine Bernard)がこの住所に登録していたと記載されていたからである。このロジーヌという名前はアンリエット、サラ、マリーとともに彼女の本名の一つとされ、姓のベルナールもフランス人風に(便宜的に)変えていた。
20代後半の頃でも彼女は才能のある女優として知られてはいたが、舞台の役回りで興味を引く演目がまだ少なかったため、彫刻を学び、画塾に通って、サロンに出展するまでになった。また恋愛を通して多くの芸術家と交流した。俳優仲間ではムネ=シュリー、リュシアン・ギトリ、劇作家のヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802-1885)、画家ではギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré, 1832-1883)、ジョルジュ・クレランが次々と愛人となった。(↑)上掲は、ギュスターヴ・ドレが描いた「うら若いサラ・ベルナール」の肖像画である。

彼女が大女優への道を歩み出すのは、普仏戦争後の1872年にユゴーの『リュイ・ブラス』(Ruy Blas)の公演での大成功以降で、ユゴーからは《黄金の声》(La voix d'or)と称賛された。これによってコメディ・フランセーズから呼び戻され、ラシーヌの『フェードル』(Phèdre)やユゴーの『エルナニ』(Hernani)でも成功を重ね、《女神》(La Divine)とか、《演劇の女帝》(Impératrice du théâtre)と冠せられるまでに至る。

2015年10月11日日曜日

散歩R(4) ミルトン通り Rue Milton, 9e(9区サン=ジョルジュ地区)


(c) Google Map Streetview
1, rue Milton, 9e 

 ラマルティヌ通りの角を左折するとミルトン通りに入る。ゆるやかな登り坂の落ち着いた街並みである。1番地の建物の入口を見ると足元の傾斜がはっきりとわかる。
(c) Google Map Streetview
Rue Milton, 9e 

















 ミルトンの名前は英国の大詩人ミルトン(John Milton, 1608-1674)ということだが、直接フランスやパリに関係がない有名人名が採用されるケースにあたる。文豪ではイタリアのダンテ、スペインのセルバンテス、ロシアのトルストイなどの名前の通りはパリにあるが、ドイツのゲーテやイギリスのシェークスピアはない。

 ミルトンは17世紀の清教徒革命の時代の人物だが、その時代の混乱もあったためか、文学的な作品はほとんどなく、クロムウェルの政府の秘書官のような仕事についていた。しかし44歳で失明したため、隠棲して口述による創作に打ち込み、英国で至高の叙事詩といわれる『失楽園』(Paradise Lost)を59歳のときに完成させた。これは、アダムとイヴの楽園追放の物語だけではなく、旧約聖書の創世記にもとづいた堕天使(=悪魔)を神と対置させて描いているという。


Gustave Doré Illustrations - Digital Collections -
 University at Buffalo
(←)左掲は、19世紀の版画家ギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré, 1832-1883) による「失楽園」の挿絵の一枚である。ドレは50年という短い人生において、天賦の才である版画を少年のときから独学で身に着け、非常に多くの新聞や雑誌の挿絵を制作し続けた。一時期ロンドンに渡り、新聞や雑誌に大都市における下層階級の民衆の生活の悲惨さを身をもって取材しながら、版画によってさらけ出すというレアリスム精神を持っていた。
同時にこの「失楽園」や「聖書」など、壮大なスケールと幻想的な深淵を目の当たりに表わす彼の表現力に多くの支持者を得て、次々と出版された。